タグ > 本を読んで

「自然に演奏してください」を読んで

2013年06月21日 18:00 | コメント(0) | トラックバック(0)

図書館で借りた本「自然に演奏してください―パブロ・カザルスの教えとアレクサンダーワークの共鳴 」を読んで響いたところをメモ。

チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされるパブロ・カザルスの教えとアレクサンダー・テクニーク、両方を経験した著者へのインタビューをまとめた本。

P.57 より引用
「かかるだけの時間をかけましょう」とても斬新なアイデアでした。

付け焼刃的なテクニックはやらず、最初から本質的なとこをやる。それはものすご〜い遠回りのように見える。でも本質的なところに向き合えてる実感がある。だからこそ、かかるだけの時間をかけられるんでしょう。

P.91 より引用
「やろうとしないで下さい」、「動きが起こってくるのを許しましょう。余計なことをやめていくのです。待っていれば、正しいことは自ずから起きてきますから、道を空けておきさえすればいいのです」

ゆだねるということ。

P.104 より引用
「必要な刺激によってもたらされるこの柔軟な動きは、身体の中心から起こってこなければならない、そう理解してよろしいですか」という質問に対しカサルス氏が答えています。

「これはわたしの信ずる自分流の理論にすぎません。少なくとも、誰かにその部分について教えてもらったことはありません。先生方でさえ何も言いませんでした。その刺激が身体の中心からやってきている時、つまり部分のみではない時に、全体の動きがうまくいき、身体のいろいろな所でやっていることが全体として統合されていき、より良い結果をもたらすと同時に、疲れが減ります。この刺激は、どこからきているかというと身体の中心と私が呼んでいるところから来ていますが、イメージとして私が感じているようなものに過ぎませんし、簡単に決めて命名するわけにはまいりません」

僕にとっての「芯をとらえる」か。

P.106 より引用
 「それから、もう一つ保証しましょう。私は左手の指使いと腕の動きにおいても因習を変え、やり方を修正しました。ずっと、私の『自然』な線に沿ってアプローチし続けます。生命が溢れる自然な状態で観察を続ければ、必ず何かが学べます。準備ができていて、辛抱強く粘り強く観察できる人は、かならず成し遂げます。
 こうした調査法と考え方を技術として使います。これを自分で始め、今も続けています。やればやるほど良くなり、どんどんやっていけるようになります」

常識にとらわれず、自分にとっての『自然』にアプローチし続ける。そこにはたぶんゴールがないから、どこまでもやっていける。芯のさらに芯が見えてくる。

この本を読んで、昨日のランニング本のようにチェロをやってみたいとはならなかったけど、ちょっとかじってる二胡には通じるかな。本質的なところではなんにでも通じるでしょうけど。

「ランニングを極める」を読んで

2013年06月20日 20:44 | コメント(0) | トラックバック(0)

図書館で借りた本「ランニングを極める アレクサンダー・テクニークで走りの感性をみがく」を読んで響いたところをメモ。

アレクサンダー・テクニークがどんなものかよく知らなかったけど、その単語にピンときたので関連本をまとめて借りてきた、そのうちのひとつ。

アレクサンダー・テクニークはもともと発声を改善しようとするところから生まれたものだけど、楽器演奏、演技なんかにも応用されてるらしい。で今回最初に手にとったアレクサンダー・テクニーク本は、ランニングに応用した内容だった。

P.6 より引用
アレクサンダー・テクニークとは

 ランニングのことを、ある種のテクニックだとか、あるいは科学として、または健康のための手段としてとらえるのでなく、アートとして取り組むとき、ランニングはまったく新しい様相を帯びる。
 まず、ランナーのモチベーションが変化する。レースに勝つことや、前もって目標として決めたタイムはそれほど重視されず、探求の過程や、ランニングのよって得られる高い意識に重点がおかれるのだ。それこそがこの本のテーマである。本書は、フレデリック・アレクサンダーによって生み出されたテクニークの原理を土台としている。
 アレクサンダー・テクニークは、無意識のうちにおこなわれる非生産的で習慣的な動作を生み出す、身体の反応に注意を向け、意識的にその反応をコントロールできる能力を育てようとするメソッドだ。身体の自動的な反応は、無意識のうちに陥るクセ――頭を後ろや下に傾かせてしまう習慣――の根底にあるもので、「頭−首−背中」のバランスの良い関係を歪めることになる。
 このテクニークは、自分自身の考え方や動作に対し、効果的な指令をあらためて明確に出すことで、習慣的な反応を捨て去る方法を教えてくれる。この精神物理学的な再統合を通じて、私たちは自分自身と再び触れあうことができるようになる。ランナーも恩恵を受けるであろうことは明白だろう。

 アレクサンダーはまた、結果にばかり気をとられると、動作のプロセスとの強調関係を失うことになると考えた。彼はこういう発想をエンド・ゲイニング(end-gaining)と呼ぶ。いわば「結果がすべて」のエンド・ゲイニングは、私たちの社会に広く浸透している考え方なので、もはや「あたりまえ」に思える(もちろんあたりまえではない)。しかし、プロセスとの協調性を取り戻したとき、人はその瞬間に身をおき、瞬間ごとに少しずつ違うなにかに気がつくはずだ。

アレクサンダー・テクニークはスピリチュアルものではないみたいだけど、響くとこは共通してる。

P.61 より引用
ミーンズ・ウェアバイ

 エンド・ゲイニングにもとづいた活動はたいてい、結果だけで評価される。バーに取りつけたウェイトの重さや、ランニングマシーンで走った時間、ひと月にどのくらい減量したか、といったように。どれだけ進歩したかをはかるには、客観的な数値はたしかに有効だ。しかし、どのような活動でも、その成果が「進歩」という唯一の指標ではかられてしまうのは問題である。指標がたったひとつしかないと、成果というものに対してまちがった認識をもったり、目標を達成できなかった場合には挫折感だけが残ることになる。アルベルト・アインシュタインは、こうした手法は本質的に無益だと言い、「重要なものすべてが数えられるとはかぎらず、数えられるものすべてが重要というわけではない」と言っている。
 競争を好む人は往々にして、エンド・ゲイニングな基準によって、成功か失敗かを評価する。しかし自分自身の健康(身体能力)を維持したり改善したりするのに、競争という考え方は必要ないし、むしろ邪魔なものだ。本当の進歩というのは、行動のプロセスにもっと深く集中したとき、そしてそれによって闘争心が和らいだときに得られることが多いのだ。これがアレクサンダーのいうミーンズ・ウェアバイ(means whereby)である。

そうか、違った視点を認められるようになることこそ大きな「進歩」といえるのかも。

外側の基準から内側の基準への切り替え。人生における最大級のチャレンジだ。

P.166 より引用
 おそらく年齢を重ねたためだと思うが、今ではもう、一度決めたことを強引にやりぬいて、自分の何かを証明してみせるようなことはしない。その代わり、私の身体の動きを意味もなく損なうようなやり方ではなく、自分の「本質」をどのように表現するか、それが課題となった。以前よりレースの出場回数が大幅に減ったのは、準備せずにレースに挑みたくないというのが大きな理由であり、さらにもっと重要なのは、その体験を楽しめないのなら出場したくないと思っているからである。さらに、限界を超えようとしたときに感じる苦痛も、レースを避ける理由のひとつになっている。

そうそう。自分の「本質」をどのように表現するか。それが楽しい課題だ。

姿勢や身体の使い方が変化すると、ただ立ってるだけや、スーパーからの帰り道を歩いてるだけでも、楽しく、とっても心地よくなる。僕にとっては芯をとらえてるという感覚だ。これは前回ブログの記事を書いた後、ずっと向き合ってるテーマ。身体も心も生き方も、芯をとらえるバランスの取り方は同じ、そんな気がする。

最近、歩き方を変えたり(かかとじゃなく拇指球で着地する)、フットサルの休憩中にグラウンドをダッシュしたりするのはこの本の影響だ。

本当に実現したいことは努力の必要なし

2012年08月20日 20:17 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール3」を読んで響いたところをメモ。

様々なメッセージの中で、特に響くものがある。

それが正しいとする根拠や経験がなくても、直感的に正しいと感じる。

自分にとって正しいと知っている。

そして、この現実の体験を通してやっぱりね!と確認したい。

特にそう感じるのがこのコンセプト。

P.191 より引用
「行動」からのみ「現実」と「体験」が創られます。


自分を最初にショートさせてしまう観念のひとつは「自分が本当に望むものを行動に移すには、大変な努力とスタミナが要る」という観念です。

どういうふうにしたら行動に移せるか、その方法をいろいろ考えるだけでくだびれてしまいます。

(笑)

これが、最初に話した非常に弱い思考パターンです。

ここで強調したいのは「自分が真に一番強く望んでいることは、努力の必要なしに実現化できる」ということです。

なぜなら、それがあなたの本質に一番近いからです。


スタミナが必要になるのは「自分自身でないもの」になろうとしているときだけです。


これをやると本当に疲れます。

フラストレーションもたまります。


でも多くの人は「本当にしたいことをやろうとしているけれど、それでもフラストレーションがたまるし、くたびれる」と言うかもしれません。

でもそれはなぜかというと、あなたが本当にしたいことを「している」のではなく、ただ「しようとしている」だけだからです。


「しようとしている状態」は、本当のあなたの状態ではありません。

「しようとしている状態」とは、まわりの現実と自分との共時性(タイミングがうまく合うこと)を信頼していないときに起きます。

自然が自分に与えてくれた道具を信頼していない、ということです。


しようとしている状態は、まだ、「まわりの人が“期待”していること」をやろうとしているときです。


しようとしているときは、まだ、「努力を必要としない本当のあなた」以外のパターンに従おうとしています。


自分が一番ワクワクすることを「自然にやってくる一番明白な機会」に行動に移せば、努力はまったく要りません。


ですから、皆さんの「自分でしたいことをするには、たくさんの努力とスタミナが必要だ」という観念を、丸めて窓から捨ててください。

だからといって、チャレンジがなくなる、ということではありません。

自分が本当にしたいことをしているときには、チャレンジをもっと歓迎することができます。

なぜなら、それは本当に自分がしたいことの延長となるからです。

そして、それについてもっと多くを学ぶことでしょう。

このようなチャレンジは、本当に自分がやりたいことですから、フラストレーションもたまりません。

どちらかというと、興奮のあまり、眠ることも必要ないくらいになったりします。


ここで言っているのは、自分のフィーリング、すなわち感じているところから行動にいく前にそれをショートさせないで、ということです。

いろいろな言い訳が次々と出てきて、自分のやりたいことができるはずがない、と自分を説得し始めます。

また、こういう方法でやらなくてはいけないと教えられてきたことを頭から信じてしまう必要も、まったくありません。

どんなことでも、それを成し遂げるための、何百万通りの方法があります。

物事に対する様々な定義づけの扉を、自分で閉めてしまわないでください。

物事を実現するのに、このような方法もあるのだという「新しい創造的な定義づけ」が自分にやってくるまで、少しのんびりと座って見ていてください。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

人間関係について

2012年08月17日 22:41 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

P.204 より引用
それでは魅力、引きつけるということについて話してみましょう。

自分がなにかの人間関係に引きつけられる、あるいは人間関係を自分に引き寄せるときの基本的な事柄です。

もう一度思い出してほしいのは「あなたの波動があなたの現実を創りだす」ということです。


皆さんはこの社会の中で、自分は人間として半人前だということを、よく学んできたようです。

ですから、たくさんの人達が外を歩きながら「自分は完全ではないのだ」という波動を出して、完璧な人を見つけようと目を外に向けています。

実は、自分自身が完全な存在だということを忘れています。


最初の実習でやったように、あなたが誰であれ、自分の中に男性エネルギーと女性エネルギーの両方を持っています。

そのふたつのバランスがとれたときはじめて、本当に完全な波動を持つことができます。


自分が完全でない、どこか欠けていると思って歩きまわっていると、だいたい同じような考えを持った人を引きつけます。

どこか自分の理想には足りない人が自分の目の前に現れて、その人に引きつけれられ「あなたは自分のことを完璧ではないと思い込んでいますよ」と教えられます。


たくさんの人達が自分のことを「犠牲者」だと思っています。

人のものを全部背負って、次から次へと人間関係を渡り歩きます。

そして自分はどこかおかしいに違いない、と思い込み始めるのです。

そういった人の人間関係には「自分はなにかが間違った人間だ」ということが反映されます。人間関係は、自分の中の、完全でないと思い込んでいる部分を反映して見せてくれるのです。

ということは同時に、自分がその部分を変えられるということです。

否定的な状況が人生の中に起こったからといって「こんなところで引っかかっていて、お前は本当にどうしようもない奴だ」と言われているわけではないのです。いまあなたが自分のことをどう思っているかを鏡として照らし出し、反映してくれているだけなのです。

自分でそれがいやなら変えられます。

その機会を与えるために、見せてくれているだけなのです。


社会の中でいろいろなことを学び、ある思い込みをもつことで、皆さんは次のようなことをやっています。

自分の期待を裏切るような人達に、何人も何人も出会うことによって、やっと自分が誰であるかを見つける、というやり方です。

「排除法」で、これも違うあれも違うとやって、最後の最後でやっと自分を見つけることを許してあげるという「疲れる」やり方です。


いままでの人間関係を振り返って「あれは自分ではなかった」「これも自分ではなかった」「だからこれが本当の自分に違いない」と思います。

もしそれをやるのが本当に好きだったら、残りの人生のすべて、それをやることもできますし、次に生まれ変わったときにも、またその次に生まれ変わったときにも続けることができます。

しかし、その代わりに、いまここで自分はどうなりたいのかということを見ることもできるのです。


自分でない部分を見たくてたくさんの人間関係を創っていくのは、本当の自分を忘れてしまったときか、本当の自分に直面するのが怖いときです。


宇宙は常にバランスを保とうとします。

自然はあなたとは「バランスがとれたあなた」です。

自分のバランスがとれていないとき、宇宙はそれを知らせるために、いろいろなものを創って見せてくれます。


自分自身を完璧と見ていないとき、外に完璧なものを探そうとするときは、充実した満足のいく人間関係は手に入りません。

とても面倒な人間関係をもたらします。

本当に満足して、充実しているとき、それを反映するような人間関係を引きつけます。


しかし、自分が本当にワクワクすることをやっているときでも、まだいろいろ学ばなくてはならないような人を引きつけることがあります。

そうすると、あなたは自分にこう聞くかもしれません。

「これだけワクワクしているのに、この人はなにを見せてくれようとしているのだろう?」と。

ただ、ときには、他の人がワクワクした状態を探すための手伝いをすることに、あなたが同意している場合があります。

あなたがその人を引きつけて「輝けるモデル」としてのあなたを見せてあげるときがあるのです。

もしくは逆に、他の人があなたを引きつけて、「こういう人になりたい」と思うようなモデルを見せてくれる、ということです。


そういう人間関係がきたとき、それを否定的に見てしまうと「あなたは私には値しない」とか「私はあなたには値しない」というような言葉が出てきてしまいます。

でも、自分と似た波動しか寄ってこないのです。

どこかで同意ができているのです。

ですから、そのときの自分に一番いい人が引き寄せられてきているのだということを覚えておいてください。

だからといって、それがたったひとり、特定のひとりであるとは限りません。

ときによっては同じようなレベルで、ひとり以上の人と関係ができることがあります。


私たちの世界では、すべての人間関係は相互に、包括的に働きます。

皆を啓発するように働きます。

除外するようには働かないのです。


次に言うのは非常に大切なポイントです。


すべての人間関係は、統一性を持って直面するとき啓発し合います。

ひとつの人間関係、もしくは多数の人間関係でも、秘密を持っていたり、正直に相対さない場合、排他的な人間関係になります。

あなた自身がハートをオープンに、コミュニケーションをオープンにして、正直に付き合っているとき、すべての人間関係はより活気づく方向に行きます。

いろいろな人間関係の中で、なぜそういうことが起きているのか、自分で、はっきりと分かります。

人間関係はヒントの出し合いっこ。

そう見るとどんな人間関係にも感謝できる。

嫌な奴役をやってくれたひとには特に感謝してもいい。

だから、一緒に人間関係を創造してくれる(た)すべてひとに。

「あなたがいてくれて、ありがとう」
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

自己否定について

2012年08月16日 23:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

P.123 より引用
自己否定について。

この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。

真の愛の反対語は「罪悪感」です。

私のいう罪悪感とは、なにかバランスがくずれたときに、それを直さなければいけないというところからくる自然の罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。

どんなに小さな「否定」だとしても、です。

ほんの小さな罪悪感でも、その人格全体を抹殺することができます。

ちょうど、ほんの少量の毒でも人間一人を殺せてしまうように。

ですから、皆さんの怖れを自分から離してあげてください。

そして自分自身の肯定的な面を信頼し始めてください。

究極的な信頼、無限の信頼です。

究極的な信頼というと、たくさんの人はもうそこで怖がっていまいます。

なぜなら、究極的な信頼など、とても難しくてできないと思うからです。


よくこの世では、なんでも100%常に信頼することなどできないといいます。

たくさんの人たちが、いつでも必ず少しくらいは懐疑的になる、疑いが残るといいます。

でも私たちから皆さんを見ていると、皆さんは常に100%自分を信頼しています。

“ほんの一瞬でも、皆さんが自分を信頼していない時はない”のです。


皆さんの社会では「疑いとは信頼がないとき」という定義づけをしています。

でも私たちから見ると「疑いは信頼の欠如ではない」のです。

私たちから見れば、皆さんの言う「疑い」は100%の信頼を「否定的に」みたときの言い方なのです。


信頼を否定的にみるとき、否定的なものを信頼したときが「疑い」なのですが、皆さんは否定的な「疑い」が肯定的な信頼よりも力を持っていると思っています。皆さんは、100%肯定的な方に置かないで、信頼を100%否定的な方に置いているだけなのです。

ですから100%信頼を始めてくださいというときに、皆さんが「えー、またか・・」と感じる必要はないのです。皆さんがいままで知らなかったことを学ばなければいけない、と思う必要はありません。

やるべきことはたったこれだけなのです。

否定的な方に持っていた信頼、現実を、肯定的な方に移せばいいだけです。


非常に簡単なことです。

非常にシンプルです。

非常に楽しいことです。

そして自分自身がまた、パワフルになることができます。

無限とつながることができます。

それによって自分が大きな創造の存在の一面だということを思い出すことができます。

自分に力がない、と思うこともなくなります。

すべての創造物から自分が分離されている、と感じる必要もなくなります。

普段のヒントを整理するなかで罪悪感や自己否定的なものが出てくることは、よくある。

そういうときは、背中がゾゾゾとなる。

ネガティブなエネルギーを自分で選択している瞬間なんでしょう。

それを見ること自体は否定することないんでしょうし、怖れる必要もない。

ただ、それは心地よくないし、もう体験する必要がないなら、選ばなければいい。

だから「すべてを100%肯定的な方に信頼する」ことを選ぶ。シンプルに。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

大切な人が苦しんでいるときに、できること

2012年08月16日 21:36 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

大切な人が苦しんでいるときに、相手のために一所懸命祈ることの他にできることがあるか?

というの質問に対して:

P.79 より引用
すこし提案できることはあります。

まず最初に、その相手を弱い存在と見ないでください。

慈悲をかけると、その人自身のいまの状態をより強調することになります。

そして二番目に、すべての個人は自分の現実を選択している、ということを理解してください。

その人たちに、なにかを提案することはできます。それによって、その相手が変わることができるかもしれません。

しかし、変化をその相手に押しつけることはできません。

きょう話したような新しい考え方をその人達に話すこともできます。でも相手の観念は、それを受け入れないかもしれません。

一番最初に理解してほしいのは、あなたが他の人の人生の責任をとることはできない、ということです。

一番簡単にできるのは、その人達のために「自分の」責任をとることです。

それは次のようにやります。

まず最初に、相手が罠にはまったというような見方はせずに、その人個人が自分自身でそれらを抜けていく力を持っているのだ、と完全に信頼してあげることです。そしてその人達がいまやっていることを、自分の中で再定義づけしてください。

相手はいま非常に苦しんでいるかもしれません。痛みを感じているかもしれません。でもその痛みを通り過ぎて、自分でなにかをやる強さがあるのは明らかです。そういった大きな制限をわざわざ自分に課している。その強さをまず見てあげてください。

そしてその人達がなりたい本来の姿に、あなた自身がモデルとなってあげて、その人のまわりで輝いてあげてください。

その人と気持ちを分かちあうことは、本来、その人の気持ちを持ち上げることなのですが、上から慈悲をかけられると、非常に落ち込みます。相手が絶望的な状態にいるとき、あなたがまわりで「あなたは本当に大変ね。もうあなたは絶望的ね」と言っていたら、どうでしょう?

地球上のことわざにあるのですが「絶望的な人は絶望的な人を呼ぶ」で、二人して絶望するだけです。

ときによっては、誰かが絶望的になっているときに、あなたが幸せそうにハッピーにしていたら、なんて冷たい人だと思われることもあります。

でもそれを怖れないでください。

相手に話してあげてください。私はあなたのことがとっても好きだと。

あまりにその人のことが好きなので、愛しているので、そんな絶望的なことをいちいちあなたに見せていられない、と。

環境を変えたり、いろいろなものに立ち向かう姿勢を、ほんのすこし変えることを教えてあげてください。なにかにワクワクしたり、新しい方向にあるワクワクすることを教えてあげてください。

でも、相手があなたの提案を受け取らなくても、それは彼らの選択です。

あなたがいま、絶望の方を選んでいても構わない。でも私はずっとそばにいて、あなたがいつでもその新しいやり方をやりたくなったら、振り向いてください、と。

自分自身を変えることが一番早い、ということを見せてあげてください。

あなた自身が輝いて、光となってあげることによって、彼らもそれを感じざるをえないようにしてあげてください。自分が、その光の鏡となってあげてください。

それぞれのプロセスを信頼する。

相手も、過去の自分も、現在の自分も。

光の鏡になる。

それを見た人は、抵抗感が浮き出てくることもあるでしょう。

それも含めてプロセスを信頼する。

抵抗感は変化の前触れだから。素晴らしいサイン。

あとはそれぞれの選択。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

「バシャール2」を読んで

2012年07月30日 20:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
バシャール2
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

リラックス本を読み終えたので、まだ読んでないバシャール本を借りてきた。こういう本も図書館に置いてるもんなんですね。

まあ響くとこはたくさんありそうなんで、まだ読んでる途中ですけど、とりあえず最近の出来事にシンクロしてるように感じたとこを。たっぷり2ページ半。

昨日から首が痛くなったという質問者に対して:

P.21 より引用
分かります。こういう考え方をしてみてください。

痛みは単なる抵抗です。古い考え方を、いま自分の中でいろいろプロセスしているのかもしれません。それらをクリアーにしている間に、時々ブロックとか、ひっかかるものが出てきたりします。

だいたいこういうものは皆さんの背骨に沿って出てきます。よくクンダリーニ・エネルギーと呼ばれているものです。そのエネルギーが上がったり下がったりして、所々でひっかかったり寄り道をしたりします。

こういうふうにやってください。そこの部分に息を吸い込みます。そして次にいうように、自分の観念も少し変えてみてください。新しいエネルギーが自分の中に入ってくるとき、それが痛みを伴うのは次のような理由からです。

いま受け取っているエネルギーより、本当の自分のエネルギーが低いと思い込んでいるとき、新たなエネルギーと自分のエネルギーがまだこれだけ違うのだと決めつけているとき、対処できないと思っているものを、受け取ることができません。

ですから自分の頭の中で決めている定義づけを、少しリラックスさせ、ゆるめてください。自分は、入ってくるエネルギーと同じもの、対等なものだと再定義づけしてみてください。

力学を知っている人は、摩擦はふたつのものが擦れるときに起きることを知っています。

ですから、新たなエネルギーを受け取れないと思ったときには、ふたつの間に摩擦が起きていると考えてください。

それが自分の身体の内臓から、いま自分が直面している問題にまで出てきます。そして社会がどう考えているか、自分の身体がどうエネルギーを受け入れるかということからも摩擦は出てきます。

ですから最初にやってほしいことは、自分がそのエネルギーと対等だと知ることです。

それによって摩擦が減ります。

摩擦が起こるのは、自分のエネルギーと新たなエネルギーを対等にすることを怖れているからです。たくさんの人がこれをやります。

自分がそうなってしまったら、どこか未知の分野に足を踏み込んでしまうという怖れです。

でもなぜ未知のものを、自動的に怖れてしまうのでしょう。

それは皆さんが長い間、未知のものは怖いもの、否定的なものと教えられてきたからです。

でも皆さんは、すべて創造者です。

自分の考えていることを、自分の外にも創りあげていく人々です。

ですから、未知のものを肯定的なものだと考えれば、肯定的なものしかやってきません。どんなことが起きても、それを肯定的に使えないということはないのです。

怖れる対象が問題なのではなくて、怖れること自体が問題なのです。

どんな状況でも、怖れを伴わなければならないと最初から決まっているわけではありません。それを見るあなたの見方によって、抵抗や怖れを生み出します。

自分の中に痛みが走ったら、考えてみてください。こんな痛みを体験するためには、自分はどんな観念を持っていなければいけないのだろうと。

その観念はどんなものか。正直に自分の中を見ていってください。

そしていままで自分に教えたれていた観念を探してみてください。

教えられてきたものが見つけられれば、どんな新しい観念が欲しいのかも見えてきます。

ここは大切ですからよく聞いてください。

これが欲しいという新しい観念を自分で見つけたら、新しい定義づけを認識します。認識するだけで古いものを新しいものが入れ換わります。

なぜならそれが起きるのは、あなたがそれを望んでいるからです。

望むだけで充分なのです。

新しい観念を見つけたら、これを実際に自分のものにするにはどうしたらいいか、長いプロセスを経なければ自分のものにならないのではないか、と考える必要はありません。

すべての定義づけを排除するのは難しい、という観念が自分の中にあると難しくなります。

皆さんの社会は、定義づけの上に定義づけして、そしてそれをさらに定義づけするという、非常に複雑な構造になっています。

自分でつくった定義づけを、それは宇宙の真理、宇宙の法則だと思い込んでいることすらあります。

もうこれは普遍的なものだと思い込んでいるものもたくさんあります。

よく、こんなことを言いませんか?

「これを変えるのが難しいことはみんなが知っている」と。

変化するのが難しいことはみんなが知っていると思っているとき、自分にとっても難しいのです。

それすら自分の定義づけだと知っていれば、もうこんなものは欲しくない、変えたいと思うことができます。

「ではなにを新たな考え方としよう?」「簡単に変えられるという観念を自分で決めたらどうだろう」と考えるとき、それは古いものを捨てるということではありません。

古いものから新しいものに代えるとき、その古いものを愛し、それが今まで自分に教えてくれたことをいとおいく思えれば、一番速く進めます。

古いものが自分に教えてくれることのひとつは、古いものはもう自分には必要ないということです。

「自分がなにでないか」を教えてくれる古いものに感謝してください。

それによって「自分がなにであるか」に近づきます。

ですから痛みがあったらそれを自分のものにしてください。

否定しないでください。

自分のものにすると、変化させることができます。

自分のものにすると、自分でコントロールできます。

それを否定しろということではありません。

否定しようと思っても否定できないのです。いままで持っていたエネルギーですから。

ただその形を変えたいだけなのです。

地球の科学でも、エネルギーを消すことはできないということを知っています。形を変えることしかできません。

人生の中で嫌なことが起きたとき、自分をそれから切り離そうとします。

でもできません。できないのです。

ですからそれを変えようとしないで、変わることを許してあげてください。

自分で望む方に自分の考え方を変えてください。それによって変化することを許してあげることができます。
そして呼吸をしてください。

たっぷりと呼吸をしてください。

吸って・・・吐いて・・・。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

「瞬間リラックス」を読んで

2012年07月28日 20:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
瞬間リラックス―心と体に効く驚異のリラックス法100図書館で借りた本「瞬間リラックス―心と体に効く驚異のリラックス法100」を読んで響いたところをメモ。

たくさん借りたリラックス本の最後の一冊。この本が一番分厚い。訳者のあとがきにもあったけど、リラクゼーションの百科事典という感じで、幅広い内容で読み応えがあった。

リラックス法もたくさん紹介されていて、とても参考になった。この本では特にパワー呼吸という横隔膜を動かして肺全体を使った深い呼吸にポイントを置いているようで、他のリラックス法の説明の中にも「〜して、あわせてパワー呼吸もしましょう」というような説明が度々登場する。

ゆったりとした深い呼吸にとてもリラックス効果があるのは、僕も実感したことがある。以前なんとなくダウンロードしたPranayamaというアプリ。これは呼吸のパターンと時間を設定したら、後はアプリの指示に従って呼吸するだけなんですが、試しに15分ぐらい呼吸をすると、心身ともにとっても軽くなったので、一時期ハマった。この本を読んでそれを思い出したので、最近またこのアプリを使っている。

さて、それ以外で自分に響いたのは、「Aタイプ」と「Bタイプ」という行動特性による分類に関してのとこ。

P.310 より引用
●Aタイプの性格
  • 自らストレスを生み出す。
  • 目標の達成を重要と考える。
  • 競争心が強い。
  • 強引である。
  • 目標を高めに設定する。
  • 厳しいデッドラインを設定する。
  • 一度に複数のことをやろうとする。
  • 極限まで頑張る。
  • せっかち。
  • 忍耐力がない。
  • すぐに退屈する。
  • 早口でまくしたてる。
  • 早くて浅い呼吸をする。
  • 物腰がせわしない。
  • 自己中心的。
  • 忘れっぽく、ミスが多い。
  • コーヒーなどの摂取量が多い。
  • リラックスしていることがうしろめたい。

●Bタイプの性格
  • 外からのストレスを感じる。
  • 「物欲」がなく、「生きること」に興味がある。
  • 野心はあるが、過度の競争心はない。
  • Aタイプ人間よりものんきである。
  • 現実的な目標設定をする。
  • 無理のないデッドラインを設定する。
  • 仕事はひとつずつ順番に片づける。
  • 自分の限界を知っている。
  • リラックスしている。
  • がむしゃらになったり、のめりこんだりしない。
  • 物事のおもしろい面を見つけるのがうまい。
  • 話し方がゆっくりで、人とのコミュニケーションがうまい。
  • ゆっくりと深い呼吸をする。
  • 物腰がゆったりしている。
  • 気さく。
  • 整理整頓がうまく、ミスが少ない。
  • コーヒーなどはほどほどに摂取する。
  • くつろぎの時間を楽しむことができる。

 たいていの人は、AタイプかBタイプのどちらかに偏るはずです。
 リストの下段に思い当たる項目の多い人はBタイプの人間です。そういう人はこの章を飛ばしてかまいません。Bタイプ人間はAタイプ人間よりも寿命が長く、病気にかかりにくく、ストレスがらみの問題に苦しむことも少ないはず。Bタイプ人間のほうが物事をうまく能率的に処理することができ、日常の浮き沈みにもうまく対応できます。

正直こういう分類はあまり好きではないですし、必ずしもBタイプがいいとは思わないですけど、以前の大きなストレスを感じていた頃の僕は確かにAタイプに偏っていました。でも今はBタイプになるでしょう。我ながら変わったと思います。

Aタイプの頃は「自らストレスを生みだしてる」とは思ってなかったですけど、ストレス真っ只中の自分やまわりを観察する中で、自分でもそうしてることに気づいてきて、でも抵抗して、気付いたらやっぱりストレスを選んでいて...まあそんなことを繰り返しながら、最近やっとリラックスすることを許せてきたという感じ。確かに外からのストレスを感じないわけではないですけど、それを自分にとってのヒントだと思えるので、抵抗せずにすみ、リラックスを選ぶことができてる。そんな気がします。

本ではストレスを抱えるAタイプの人がBタイプに近づくためのテクニックがいろいろ紹介されていましたが、その中の「自分にリラックスする許可を与える」というのはまさしく僕がやってきたことかな。それ以外で響いたとこを最後に。

P.320 より引用
子供は、大人(特にAタイプの大人)にはない天性の力を持っています。どうしたら自然体でいられるか、どうしたら笑えるか、どうしたら楽しく過ごせるか、どうしたら人生をありのままに受け入れられるかを、本能的に知っているのです。それに、子供は失敗を恐れません。
 ですから、子供がストレスや悩みと無縁なのは、べつに不思議なことではないのです。

 子供にかえりましょう。Aタイプの特徴がもっとも出ているときはなおさらです。そうすれば、ストレスとは無縁の子供の特性を身につけることができるでしょう。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

「リラックス生活のすすめ」を読んで

2012年07月17日 17:55 | コメント(0) | トラックバック(0)
リラックス生活のすすめ―脱ストレス学入門図書館で借りた本「リラックス生活のすすめ―脱ストレス学入門 」を読んで響いたところをメモ。

この本は初版が昭和58年発行だから30年ほど前のものだ。著者はそのころでもすでにひどいストレス社会になってしまったと危惧してリラックス生活をすすめている。

「ストレス菌が猛威をふるう」なんて表現があるぐらい危機感があったんでしょうけど、そこまでストレスを忌み嫌わなくてもいいかなとも感じた。

ストレスについての説明や、日常生活の工夫などあり、リラックス法もいくつか紹介されている。ジェイコブソンの漸進的筋弛緩法シュルツの自律訓練法白隠禅師(はくいんぜんじ)の軟酥(なんそ)の法、なんかが参考になった。

漸進的筋弛緩法は物理的に体を動かしてのリラックス法で、後の2つはイメージを使ったリラックス法と言えるかな。リラックス法はだいたいこの2種類に分類できるのかも。

それ以外に、ちょっと響いたところ。

P.153 より引用
 16世紀のヨーロッパ最高の知性人トマス・モアは名著『ユートピア』を著した。モアは理想郷ユートピアを仮想し、そのユートピア人の考え方や行動を通して真の豊かさや幸福な生活のあり方を説いたのである。
 ユートピア人はみな物的にたいへん豊かである。ほんとうに豊かであるゆえに、物への執着を断つことができて、彼らは質素な生活のほうを好むのであった。
 成金の外国人がこのユートピア国にやって来ると、ユートピア人が質素な生活をしているのを見て、それは貧しいからに違いないと思いこんでしまう。そこで、成金たちは、金製品や宝石をちりばめた所持品を得意顔で見せびらかすのである。
 ユートピア人は、そんなものは子どものオモチャのようなものだとして扱っているので、外国人にこうたずねるのであった。「どうしてそんな金(きん)を眺めて楽しそうにしているのですか」。すると成金たちは、「人間というものは、ゆとりが出てくると、美しいものを観賞したいという気持ちが生まれてくるものなのですよ」(本音は、高価な金をたくさんもっていることを誇示することがうれしいという虚栄心)と言うのであった。
 そこでユートピア人はいう、「黄金の輝きが美しいというのなら、どうしてあなたがたは、日の出の壮麗な金色の美しさを鑑賞しないのですか。それにくらべたら、そんなのはオモチャのようでしょう」
 成金たちはそれでも言った。「そうかもしれないが、このダイヤモンドの輝き、この美しさに優るものはない」。しかし、ユートピア人は首をかしげてつぶやくのであった。「夜空にまたたく、数え切れない、たくさんの星の輝き。それはあなたのいくつかのダイヤとはくらべものにならない美しさなのに」
 成金たちはけっきょく審美への希求ではなく、虚栄にとらわれていたのにほかならない。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

「RELAX HACKS!」を読んで

2012年07月07日 11:46 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「RELAX HACKS!」を読んで響いたところをメモ。

この本は前の2冊に比べて、より物質的な側面から、自分を満足させたり、余裕を作ったりする方法をたくさん紹介する。オススメの家電や飲食物、仕事術、整理術、オフ過ごし方など。そういう意味では分かりやすいアイデアがたくさん詰っている。

リラックスのために、お金を含めてエネルギーを使い、色々工夫するのは素晴らしいことだと思う。

そんななかでも、感覚的な話がところどころに出くるのが面白い。

P.60 より引用
 ある学者にインタビューをしたとき、こんなことをおっしゃっていました。
「考えるときにはボーッとするんです。山手線に乗って何周も回りながら、時折、おもいついたことをメモする。それが発想のコツですね。」
 悩み事を抱えてうんうん考え込んでもなかなかいい解決案は見つからない。創造的なアイデアを出そうとしたら、むしろリラックスしてぼんやりする時間が必要だと言うのです。

よく分かる。僕の場合はウォーキング中にアイデアが浮かぶことが多い。

P.121 より引用
 たとえば外部の環境だけど、とても快適なものに変えたとします。しかしそれを「心地よい」と感じるためには、感じる側の準備も必要です。いらだっていたり、緊張しているときには、やさしい小鳥のさえずりさえ、耳障りなものに聞こえたりします。どのように聞こえるかは、受け取り手の状態に依存するのです。
(中略)
内部環境である思考を研ぎ澄ませることによって、外部環境の微妙な変化に気付く。そうなると、外部環境のちょっとした違和感に気付き、それを改善しようとする。それはたとえば、添加物の入っていない食べ物を食べ慣れていると、添加物の入ったものを口にしたときに、すぐ気付くようなもの。より鋭敏な感覚を持つことができるのです。
 外部環境に気を配りながら、最終的には自分自身の内部の環境をクリアにしていく。そういう意識でリラックス環境をつくっていってみてください。

この2年間、図らずも自分の部屋の中がどんどん変化してきている。色々工夫してレイアウトを変え続けてきた、掃除の頻度も増えたし、今は自分にとってかなり居心地がいい部屋になっている。確かに、その変化は自分の内側の変化とリンクしているかも。美味しいと感じるものが変わったし、より直観的に物事を選択するようになった。

P.171 より引用
 ストレスは、意外にも本人はストレスだと感じていないことが多いものです。ストレスを抱えたまま、知らず知らずのうちに無理をしていまい、気付いたときにはすっかり体調を崩してしまいます。まずは認識を正しく持つ。ストレスを感じているのだと気付くことが、リラックスハックの第一歩です。
 その上で、リラックスしやすい行動を工夫する。自分の状態を認識できるようになっているので、たとえば2分でできることを先に処理すると「ストレスが少ない!」と気付くことができるのです。この上司にはこういう対処をすればストレスにならない、アポはこうやって取ればストレスにならないなど、さまざまな工夫が生まれてきます。
 正しい認識の先に正しい工夫の仕方が生まれ、その上でリラックスした状態がやってきます。「ストレスを感じている自分を認識する」というのは、リラックスすることとは反対のことのように聞こえるかもしれませんが、じつは、リラックスへの王道なのです。

これもよく分かる。身を固くして、感覚を鈍化させて、ストレス耐性を強くするというのが一般的なストレス対処法なのか、昔からの伝えられたきた正しい在り方なのか、ストレスもリラックスも感じにくくなってることが多いのかも。

P.191 より引用
 究極のストレス解消テクニックは、感謝の気持ちを持つこと。
 大変なプレッシャーのかかる仕事が来たときに、「成長の機会がもらえてうれしい」と思うのか「大変な仕事ばかり回ってきて大変だ」と思うかでは、ストレスの度合いがまったく異なります。
(中略)
 しかしそれでも、言葉として感謝をしておくと、そのうち気持ちも落ち着いてきます。自然と前向きな気持ちでトラブルにも対処できるようになります。
 そして夜寝る前には、ストレスになった出来事を、あえて思い出しながら一つひとつを感謝していきます。忘れようとしていても脳はしっかり覚えているもの。であれば、臭いものにふたをするのではなく、いやなことにもしっかり向き合って、気持ちの上だけでも対処しておくといいのです。

何かにストレスを感じているということは、自分にとって素晴らしいヒントになる。答えは出なくても、強いストレスほど、何かに気付くための大きなヒントなのかも。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

「いやな気分を消す方法」を読んで

2012年07月04日 11:32 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「いやな気分を消す方法」を読んで響いたところをメモ。

この本はリラックス法をたくさん紹介する。物に触れて心を集中させたり、香りに意識を集中させるなど五感を使う方法や、イメージを心の中で再現する方法、自分の呼吸を観察する方法など様々だ。

著者は、全部試してみて、いいと思ったやり方を選んで、実践することを勧めている。

リラックスすることの効果については次のように説明がある。

P.26 より引用
 さらに、リラクゼーションがもたらす即効的なメリットをいくつか挙げておこう。まずエネルギーがわいてくること。体がより健康になること。記憶力や学習能力や対人関係が改善されること。つまり、落ち着いた精神は健康な体や冴えたアイデアをもたらし、さらには人間関係をも改善するのだ。
 僕自身、リラクゼーションで精神の疲労を和らげたときには、より多くのエネルギーを自分自信に、そして愛する人々に向けることができる。そして自分と他人に注意を向ける余力があればあるほど、より幸せな気持ちになれる。さらにもうひとつ、心が無益な考えでいっぱいになっていないときには、必要なことを難なくおもいだすことができ、また新しい経験や知識をたやすく受け入れることができる。このようにリラクゼーションは人生の質を向上させるのだ。

思考についての説明も、なるほどと思った。

P.17 より引用
 私たち人間の脳には一日に六万以上もの思考が去来するらしいが、興味深いことに、意図的に舵(かじ)をとらず脳の好きにまかせておくと、その思考のうち90%以上は、前の日に生じた思考と同じものになるという。

本の終わりの方では、リラクゼーションの道のさらに奥のことについて書かれている。

P.138 より引用
 さらにもうしばらく練習をつづければ、こんどは意識を何かに集中させなくとも心を静められるようになる。そして頭の中から、これから起こることへの期待も、今起きていることへの批判も何もなくなったとき、あなたは瞑想の世界に足を踏み入れる。そうなったとき、ひとりでにすばらしい出来事が起きるのだ。
 けれど、僕の言葉をそっくりそのまま受けとめるのは禁物だ。自分自身で試して、確かめてみてほしい。経験にまさる教師はなし。

素晴らしい!

調子に乗って、最後のまとめも残しておこう。

P.173 より引用

忘れないでほしいこと

  • いろいろな技法と瞑想そのものを混同しないように。数を逆に数えたり、キャンドルの炎を見つめたりすることはリラクゼーションの技法である。それにたいして瞑想とは、呼吸と呼吸のはざまにおのずから起こるものだ。技法を超越し、思考の世界から抜け出したとき、瞑想はおのずから生じている。
  • 一瞬一瞬に留意しながら、心を込めて、ていねいに生きるとき、人生はひとつの瞑想になる。
  • 人生そのものが瞑想である。いい日も悪い日も、ともにあなたの人生だ。一瞬一瞬を生きること。
  • 今日のあなたがどんなにめちゃくちゃな状態であっても、明日、心の平安を味わうことは可能だ。

タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び

「心が強くなるリラックス法」を読んで

2012年06月30日 15:33 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「心が強くなるリラックス法」を読んで響いたところをメモ。

P.3 「はじめに ― この心とからだのほぐし方・癒し方で自分が変わる!」より引用
 もしも心に色や形があるとしたら?
 おだやかで明るい心は、まるくてソフトで、お日さまのような色をしているでしょう。
 逆に、悩みや悲しみ、猜疑心などがいっぱいつまっている心は、かたくてギザギザとがっていて、おそらく曇った空のようなグレーではないかと、わたしはイメージします。
 そんな色や形のある心が、もし何か衝撃(ストレス)を受けたとしたらどうでしょう。まるくてソフトな心は、ほんの少しへこむでしょう。その衝撃がかなり大きかったとしても、一瞬ゆがんだ形は、やがてもとのまるい形に戻ると思います。
 ところが、かたくとがった心は、欠けたり割れたり、大変な傷を受けて、修復には相当な日時が必要に違いありません。
 つまり、鋼(はがね)のようなかたくてはりつめた心を持つ人が、何でもはね返す強さを持っているわけではないのです。むしろ、柔軟な心を持ち、リラックスして生きている人のほうが、どんなことにもめげずに、自分らしくのびのびと人生を送れるものです。
 これは、心だけの問題ではありません。気力や体力も、無理な頑張りよりもリラックスした状態から生まれることをご存知ですか。心とからだには密接な関係があります。心のしこりはからだの不調になって表れますし、からだをほぐすことで逆に心をほぐすこともできるのです。
 わたしは長年、心やからだに悩みを持つ方々の相談を受けてきましたが、心身をリラックスさせて癒すことで、多くの人が自分本来の力を取り戻し、より前向きな生き方に変わりました。
 本文でも紹介しましたが、性格はそのほとんどが後天的なもので、肯定的な考え方やプラス思考になると、必ず変えられるものなのです。...

前文ほぼ丸々ですが、ものすごく共感します。

多くの場合「まるくてソフトな心」であることを許せるようになるのは、かたくとがった心に大変な傷を受けるというステップを経てからなのかも。そういう意味では、心をかたくとがらせて頑張るというのも、遠回りのようで、近道なのかも。

あと、本の内容で参考になったのは「カラーイメージ呼吸」。パステルカラーは筋肉をゆるめ、精神を安定させる。ピンクは"癒す"パワーを持つ色。というのは分かる気がする。

リラックス法として何かしらイメージを使うのは、思考が普段の騒々しさを忘れてそれに集中するからなんでしょうね。日常の中でリラックスする時間をとれたとしても、結局アレコレ考えてしまって全然リラックスできてないってことよくありますもんね。リラックスの達人がいるとしたら、きっといつでも頭を空っぽにできる人のことでしょう。
タグ:本を読んで | カテゴリ:ヒーリング遊び
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。