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2回戦終了して和解

2013年02月18日 22:27 | コメント(0) | トラックバック(0)
ここ2週間ほど、大きな変化を感じてました。

過去にも変化を感じる時期を何度となく経験してきましたが、大きな変化を感じるときほど内側からのデトックスというのか、なにかしら強い抵抗感が浮き出でくるような大きな揺らぎを伴って変化していく、というのがほとんどでした。

今回は、変化の大きさの割にイイ意味で淡々としてます。デトックス的な反応としてあったのは顔面の左側を中心に頭部に痛みがでてること、それをゆっくり時間をかけてセルフ・ヒーリングしながら自分は何を体験しようとしてるのかを観察してるとこです。

今日強く感じたのは、この変化を通して、ここ25年間の区切りをつけようとしてるんだということ。

25年前に顔を2回連続で骨折しました。目の周り、口の中、耳などいろんなところにメスが入り、右頬には今でもボルトが入っています。眼球の可動範囲が狭くなったり、頬の皮膚感覚が鈍くなったり、顔の左右がアンバランスになったりしました。

今では日常生活で問題になることはないですが、顔の右側は滞りやすいという自覚はずっとあって、耳鳴りがしたりなどの疲れのサインがよく出ます。右目周辺には25年モノの頑固なコリがガッチリ固まっていて、今までビクともしませんでしたが、今回の変化でついに緩みはじめました。

骨折したとこ、メスが入ったとこ、ボルトがあるとこ、全部まとめて変化してるようです。骨が動いてるようで、頭部のあちこちに痛みが出ます。歯、上あご、下あごは特に痛みがでて、大きく動いてるようです。

さて、25年前に話を戻して、2回連続で顔を骨折したあと病院を退院して日常生活に戻ったとき、世界がそれ以前と全く変わってしまったように感じました。なんか重くてキラキラしてない。これは夢なんじゃないのかと。それは20年以上経っても、その出来事が思い出されるたび、あのときの変化はなんだったんだろうと、考えるのでした。

そして、今日、その夢が覚めたような気がしました。

世界と和解して、

自分自身と和解したような。

そんなストーリー。
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「許してあげる(allow)」とは

2012年08月21日 14:35 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール3」を読んで響いたところをメモ。

バシャールのよく使う言い回し「許してあげる(allow)」とは?

P.258 より引用
「起きることを許してあげる」ということは、自分で責任をもっていて、そして機会がやって来たときに無視をせずに、すかさず、行動を起こすということです。

「私はなにもしないで寝ている」というのではありません。

チャンスは、あなたの膝の上にやってくるかもしれません。

でも、「あなたが」それに対して行動を起こさなければなりません。

あなたが、そのチャンスに対して行動を起こすという意志を見せることが、イコール、あなたがなりたい人になるという意志なのです。

プロセスを信頼し、直感やシンクロを元に行動に移す。

たとえ、その行動の先にあるものが見えなくても。

行動の先にあるものの確認や分析は行動後でもいい。

結果、何を体験し、どんな反応をし、どういう意味付けを選択するか。それが醍醐味。

そういう遊びを楽しむことを責任を持って自分に許可します。

本当に実現したいことは努力の必要なし

2012年08月20日 20:17 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール3」を読んで響いたところをメモ。

様々なメッセージの中で、特に響くものがある。

それが正しいとする根拠や経験がなくても、直感的に正しいと感じる。

自分にとって正しいと知っている。

そして、この現実の体験を通してやっぱりね!と確認したい。

特にそう感じるのがこのコンセプト。

P.191 より引用
「行動」からのみ「現実」と「体験」が創られます。


自分を最初にショートさせてしまう観念のひとつは「自分が本当に望むものを行動に移すには、大変な努力とスタミナが要る」という観念です。

どういうふうにしたら行動に移せるか、その方法をいろいろ考えるだけでくだびれてしまいます。

(笑)

これが、最初に話した非常に弱い思考パターンです。

ここで強調したいのは「自分が真に一番強く望んでいることは、努力の必要なしに実現化できる」ということです。

なぜなら、それがあなたの本質に一番近いからです。


スタミナが必要になるのは「自分自身でないもの」になろうとしているときだけです。


これをやると本当に疲れます。

フラストレーションもたまります。


でも多くの人は「本当にしたいことをやろうとしているけれど、それでもフラストレーションがたまるし、くたびれる」と言うかもしれません。

でもそれはなぜかというと、あなたが本当にしたいことを「している」のではなく、ただ「しようとしている」だけだからです。


「しようとしている状態」は、本当のあなたの状態ではありません。

「しようとしている状態」とは、まわりの現実と自分との共時性(タイミングがうまく合うこと)を信頼していないときに起きます。

自然が自分に与えてくれた道具を信頼していない、ということです。


しようとしている状態は、まだ、「まわりの人が“期待”していること」をやろうとしているときです。


しようとしているときは、まだ、「努力を必要としない本当のあなた」以外のパターンに従おうとしています。


自分が一番ワクワクすることを「自然にやってくる一番明白な機会」に行動に移せば、努力はまったく要りません。


ですから、皆さんの「自分でしたいことをするには、たくさんの努力とスタミナが必要だ」という観念を、丸めて窓から捨ててください。

だからといって、チャレンジがなくなる、ということではありません。

自分が本当にしたいことをしているときには、チャレンジをもっと歓迎することができます。

なぜなら、それは本当に自分がしたいことの延長となるからです。

そして、それについてもっと多くを学ぶことでしょう。

このようなチャレンジは、本当に自分がやりたいことですから、フラストレーションもたまりません。

どちらかというと、興奮のあまり、眠ることも必要ないくらいになったりします。


ここで言っているのは、自分のフィーリング、すなわち感じているところから行動にいく前にそれをショートさせないで、ということです。

いろいろな言い訳が次々と出てきて、自分のやりたいことができるはずがない、と自分を説得し始めます。

また、こういう方法でやらなくてはいけないと教えられてきたことを頭から信じてしまう必要も、まったくありません。

どんなことでも、それを成し遂げるための、何百万通りの方法があります。

物事に対する様々な定義づけの扉を、自分で閉めてしまわないでください。

物事を実現するのに、このような方法もあるのだという「新しい創造的な定義づけ」が自分にやってくるまで、少しのんびりと座って見ていてください。

人間関係について

2012年08月17日 22:41 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

P.204 より引用
それでは魅力、引きつけるということについて話してみましょう。

自分がなにかの人間関係に引きつけられる、あるいは人間関係を自分に引き寄せるときの基本的な事柄です。

もう一度思い出してほしいのは「あなたの波動があなたの現実を創りだす」ということです。


皆さんはこの社会の中で、自分は人間として半人前だということを、よく学んできたようです。

ですから、たくさんの人達が外を歩きながら「自分は完全ではないのだ」という波動を出して、完璧な人を見つけようと目を外に向けています。

実は、自分自身が完全な存在だということを忘れています。


最初の実習でやったように、あなたが誰であれ、自分の中に男性エネルギーと女性エネルギーの両方を持っています。

そのふたつのバランスがとれたときはじめて、本当に完全な波動を持つことができます。


自分が完全でない、どこか欠けていると思って歩きまわっていると、だいたい同じような考えを持った人を引きつけます。

どこか自分の理想には足りない人が自分の目の前に現れて、その人に引きつけれられ「あなたは自分のことを完璧ではないと思い込んでいますよ」と教えられます。


たくさんの人達が自分のことを「犠牲者」だと思っています。

人のものを全部背負って、次から次へと人間関係を渡り歩きます。

そして自分はどこかおかしいに違いない、と思い込み始めるのです。

そういった人の人間関係には「自分はなにかが間違った人間だ」ということが反映されます。人間関係は、自分の中の、完全でないと思い込んでいる部分を反映して見せてくれるのです。

ということは同時に、自分がその部分を変えられるということです。

否定的な状況が人生の中に起こったからといって「こんなところで引っかかっていて、お前は本当にどうしようもない奴だ」と言われているわけではないのです。いまあなたが自分のことをどう思っているかを鏡として照らし出し、反映してくれているだけなのです。

自分でそれがいやなら変えられます。

その機会を与えるために、見せてくれているだけなのです。


社会の中でいろいろなことを学び、ある思い込みをもつことで、皆さんは次のようなことをやっています。

自分の期待を裏切るような人達に、何人も何人も出会うことによって、やっと自分が誰であるかを見つける、というやり方です。

「排除法」で、これも違うあれも違うとやって、最後の最後でやっと自分を見つけることを許してあげるという「疲れる」やり方です。


いままでの人間関係を振り返って「あれは自分ではなかった」「これも自分ではなかった」「だからこれが本当の自分に違いない」と思います。

もしそれをやるのが本当に好きだったら、残りの人生のすべて、それをやることもできますし、次に生まれ変わったときにも、またその次に生まれ変わったときにも続けることができます。

しかし、その代わりに、いまここで自分はどうなりたいのかということを見ることもできるのです。


自分でない部分を見たくてたくさんの人間関係を創っていくのは、本当の自分を忘れてしまったときか、本当の自分に直面するのが怖いときです。


宇宙は常にバランスを保とうとします。

自然はあなたとは「バランスがとれたあなた」です。

自分のバランスがとれていないとき、宇宙はそれを知らせるために、いろいろなものを創って見せてくれます。


自分自身を完璧と見ていないとき、外に完璧なものを探そうとするときは、充実した満足のいく人間関係は手に入りません。

とても面倒な人間関係をもたらします。

本当に満足して、充実しているとき、それを反映するような人間関係を引きつけます。


しかし、自分が本当にワクワクすることをやっているときでも、まだいろいろ学ばなくてはならないような人を引きつけることがあります。

そうすると、あなたは自分にこう聞くかもしれません。

「これだけワクワクしているのに、この人はなにを見せてくれようとしているのだろう?」と。

ただ、ときには、他の人がワクワクした状態を探すための手伝いをすることに、あなたが同意している場合があります。

あなたがその人を引きつけて「輝けるモデル」としてのあなたを見せてあげるときがあるのです。

もしくは逆に、他の人があなたを引きつけて、「こういう人になりたい」と思うようなモデルを見せてくれる、ということです。


そういう人間関係がきたとき、それを否定的に見てしまうと「あなたは私には値しない」とか「私はあなたには値しない」というような言葉が出てきてしまいます。

でも、自分と似た波動しか寄ってこないのです。

どこかで同意ができているのです。

ですから、そのときの自分に一番いい人が引き寄せられてきているのだということを覚えておいてください。

だからといって、それがたったひとり、特定のひとりであるとは限りません。

ときによっては同じようなレベルで、ひとり以上の人と関係ができることがあります。


私たちの世界では、すべての人間関係は相互に、包括的に働きます。

皆を啓発するように働きます。

除外するようには働かないのです。


次に言うのは非常に大切なポイントです。


すべての人間関係は、統一性を持って直面するとき啓発し合います。

ひとつの人間関係、もしくは多数の人間関係でも、秘密を持っていたり、正直に相対さない場合、排他的な人間関係になります。

あなた自身がハートをオープンに、コミュニケーションをオープンにして、正直に付き合っているとき、すべての人間関係はより活気づく方向に行きます。

いろいろな人間関係の中で、なぜそういうことが起きているのか、自分で、はっきりと分かります。

人間関係はヒントの出し合いっこ。

そう見るとどんな人間関係にも感謝できる。

嫌な奴役をやってくれたひとには特に感謝してもいい。

だから、一緒に人間関係を創造してくれる(た)すべてひとに。

「あなたがいてくれて、ありがとう」

自己否定について

2012年08月16日 23:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

P.123 より引用
自己否定について。

この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。

真の愛の反対語は「罪悪感」です。

私のいう罪悪感とは、なにかバランスがくずれたときに、それを直さなければいけないというところからくる自然の罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。

どんなに小さな「否定」だとしても、です。

ほんの小さな罪悪感でも、その人格全体を抹殺することができます。

ちょうど、ほんの少量の毒でも人間一人を殺せてしまうように。

ですから、皆さんの怖れを自分から離してあげてください。

そして自分自身の肯定的な面を信頼し始めてください。

究極的な信頼、無限の信頼です。

究極的な信頼というと、たくさんの人はもうそこで怖がっていまいます。

なぜなら、究極的な信頼など、とても難しくてできないと思うからです。


よくこの世では、なんでも100%常に信頼することなどできないといいます。

たくさんの人たちが、いつでも必ず少しくらいは懐疑的になる、疑いが残るといいます。

でも私たちから皆さんを見ていると、皆さんは常に100%自分を信頼しています。

“ほんの一瞬でも、皆さんが自分を信頼していない時はない”のです。


皆さんの社会では「疑いとは信頼がないとき」という定義づけをしています。

でも私たちから見ると「疑いは信頼の欠如ではない」のです。

私たちから見れば、皆さんの言う「疑い」は100%の信頼を「否定的に」みたときの言い方なのです。


信頼を否定的にみるとき、否定的なものを信頼したときが「疑い」なのですが、皆さんは否定的な「疑い」が肯定的な信頼よりも力を持っていると思っています。皆さんは、100%肯定的な方に置かないで、信頼を100%否定的な方に置いているだけなのです。

ですから100%信頼を始めてくださいというときに、皆さんが「えー、またか・・」と感じる必要はないのです。皆さんがいままで知らなかったことを学ばなければいけない、と思う必要はありません。

やるべきことはたったこれだけなのです。

否定的な方に持っていた信頼、現実を、肯定的な方に移せばいいだけです。


非常に簡単なことです。

非常にシンプルです。

非常に楽しいことです。

そして自分自身がまた、パワフルになることができます。

無限とつながることができます。

それによって自分が大きな創造の存在の一面だということを思い出すことができます。

自分に力がない、と思うこともなくなります。

すべての創造物から自分が分離されている、と感じる必要もなくなります。

普段のヒントを整理するなかで罪悪感や自己否定的なものが出てくることは、よくある。

そういうときは、背中がゾゾゾとなる。

ネガティブなエネルギーを自分で選択している瞬間なんでしょう。

それを見ること自体は否定することないんでしょうし、怖れる必要もない。

ただ、それは心地よくないし、もう体験する必要がないなら、選ばなければいい。

だから「すべてを100%肯定的な方に信頼する」ことを選ぶ。シンプルに。

大切な人が苦しんでいるときに、できること

2012年08月16日 21:36 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

大切な人が苦しんでいるときに、相手のために一所懸命祈ることの他にできることがあるか?

というの質問に対して:

P.79 より引用
すこし提案できることはあります。

まず最初に、その相手を弱い存在と見ないでください。

慈悲をかけると、その人自身のいまの状態をより強調することになります。

そして二番目に、すべての個人は自分の現実を選択している、ということを理解してください。

その人たちに、なにかを提案することはできます。それによって、その相手が変わることができるかもしれません。

しかし、変化をその相手に押しつけることはできません。

きょう話したような新しい考え方をその人達に話すこともできます。でも相手の観念は、それを受け入れないかもしれません。

一番最初に理解してほしいのは、あなたが他の人の人生の責任をとることはできない、ということです。

一番簡単にできるのは、その人達のために「自分の」責任をとることです。

それは次のようにやります。

まず最初に、相手が罠にはまったというような見方はせずに、その人個人が自分自身でそれらを抜けていく力を持っているのだ、と完全に信頼してあげることです。そしてその人達がいまやっていることを、自分の中で再定義づけしてください。

相手はいま非常に苦しんでいるかもしれません。痛みを感じているかもしれません。でもその痛みを通り過ぎて、自分でなにかをやる強さがあるのは明らかです。そういった大きな制限をわざわざ自分に課している。その強さをまず見てあげてください。

そしてその人達がなりたい本来の姿に、あなた自身がモデルとなってあげて、その人のまわりで輝いてあげてください。

その人と気持ちを分かちあうことは、本来、その人の気持ちを持ち上げることなのですが、上から慈悲をかけられると、非常に落ち込みます。相手が絶望的な状態にいるとき、あなたがまわりで「あなたは本当に大変ね。もうあなたは絶望的ね」と言っていたら、どうでしょう?

地球上のことわざにあるのですが「絶望的な人は絶望的な人を呼ぶ」で、二人して絶望するだけです。

ときによっては、誰かが絶望的になっているときに、あなたが幸せそうにハッピーにしていたら、なんて冷たい人だと思われることもあります。

でもそれを怖れないでください。

相手に話してあげてください。私はあなたのことがとっても好きだと。

あまりにその人のことが好きなので、愛しているので、そんな絶望的なことをいちいちあなたに見せていられない、と。

環境を変えたり、いろいろなものに立ち向かう姿勢を、ほんのすこし変えることを教えてあげてください。なにかにワクワクしたり、新しい方向にあるワクワクすることを教えてあげてください。

でも、相手があなたの提案を受け取らなくても、それは彼らの選択です。

あなたがいま、絶望の方を選んでいても構わない。でも私はずっとそばにいて、あなたがいつでもその新しいやり方をやりたくなったら、振り向いてください、と。

自分自身を変えることが一番早い、ということを見せてあげてください。

あなた自身が輝いて、光となってあげることによって、彼らもそれを感じざるをえないようにしてあげてください。自分が、その光の鏡となってあげてください。

それぞれのプロセスを信頼する。

相手も、過去の自分も、現在の自分も。

光の鏡になる。

それを見た人は、抵抗感が浮き出てくることもあるでしょう。

それも含めてプロセスを信頼する。

抵抗感は変化の前触れだから。素晴らしいサイン。

あとはそれぞれの選択。

自分の中のギラギラ眩しい光

2012年08月02日 17:22 | コメント(0) | トラックバック(0)
統合.jpgここ数日、睡眠時間が長くなって、食べる量が減って、新しいバランスへ変化の時を過ごしていました。似たようなことは過去何度も経験してるので、その期間はちょっとシンドイけど、何か素晴らしいことが起きることを確信していました。

2週間以上前からその傾向が始まったんですが、ここ数日が山場で、やっとさっき落ち着いてきました。

今朝は目が覚めてからも、ずっと瞑想状態で、リラックスチェアに座ったり、横になったりしながら、いつもながらヒントの整理をしていました。とは言っても思考はほぼ止まっていたので、抽象的な感覚の中で、今体験してることはなんだろうとぼんやり観察していました。

ところどころ夢の中へ行ったり来たり。夢の中でも整理が続いているみたいです。

さて、今日になって注目したのが、自分のなかにあるギラギラ眩しい光です。
これにフォーカスすると、背中、肩、頭が暑くなり、何か落ち着かない感じになります。

そういえば、最近パソコン作業など、ちょっと集中して活動するときにこの光を感じてたなあと、思い出しました。

ここ最近「リラックス」というテーマが一番にありましたが、リラックスしているとき、自分の中に感じる光は霧状の白くやさしい光で、胸のあたりに感じます。この光にフォーカスすると、穏やかな気持ちになり、とても心地いいです。

それに対して今回のギラギラ眩しい光は、黄色っぽい色で、頭を中心に上半身に強く感じ、パワーはあるけど、心地いいとは言えず、何か怒りでも含んでいるのかと観察するものの、悪いものではないと感じ、どう捉えていいのか分からないまま数時間を過ごしていました。

ところがある瞬間この2つの光が同時に出てきて、入り混じり初めました。でも融け合うことはなく、2色の糸が絡みあうというか、黄色い白熱灯と、白い蛍光灯がまだらに並んでるというか。渦巻き状に感じたり、規則性がないように感じたり。

まあ、それを観察している中で、ふと閃いたんです。

これは僕の中の「男性エネルギーと女性エネルギーだ!」って。

それに気づいたら、スッと楽になったんです。

その後も、ギラギラ眩しい光だけにフォーカスするとやっぱり落ち着かない。

両方の光を同時に見て、それを身体に広げると、バランスが取れる感じがする。

これが新しいバランスなんでしょう。

そして、身体が活動的になってきたので、久しぶりにパスタを作って食べた。

そう言えば、「男性エネルギーと女性エネルギーの統合が始まった」てなことを、ちょうど8ヶ月前のブログ記事で書いた。

今日はその流れに大きな区切りがついたのかもしれない。

なんだか感謝の気持ちでいっぱいになった。
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「バシャール2」を読んで

2012年07月30日 20:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
バシャール2
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

リラックス本を読み終えたので、まだ読んでないバシャール本を借りてきた。こういう本も図書館に置いてるもんなんですね。

まあ響くとこはたくさんありそうなんで、まだ読んでる途中ですけど、とりあえず最近の出来事にシンクロしてるように感じたとこを。たっぷり2ページ半。

昨日から首が痛くなったという質問者に対して:

P.21 より引用
分かります。こういう考え方をしてみてください。

痛みは単なる抵抗です。古い考え方を、いま自分の中でいろいろプロセスしているのかもしれません。それらをクリアーにしている間に、時々ブロックとか、ひっかかるものが出てきたりします。

だいたいこういうものは皆さんの背骨に沿って出てきます。よくクンダリーニ・エネルギーと呼ばれているものです。そのエネルギーが上がったり下がったりして、所々でひっかかったり寄り道をしたりします。

こういうふうにやってください。そこの部分に息を吸い込みます。そして次にいうように、自分の観念も少し変えてみてください。新しいエネルギーが自分の中に入ってくるとき、それが痛みを伴うのは次のような理由からです。

いま受け取っているエネルギーより、本当の自分のエネルギーが低いと思い込んでいるとき、新たなエネルギーと自分のエネルギーがまだこれだけ違うのだと決めつけているとき、対処できないと思っているものを、受け取ることができません。

ですから自分の頭の中で決めている定義づけを、少しリラックスさせ、ゆるめてください。自分は、入ってくるエネルギーと同じもの、対等なものだと再定義づけしてみてください。

力学を知っている人は、摩擦はふたつのものが擦れるときに起きることを知っています。

ですから、新たなエネルギーを受け取れないと思ったときには、ふたつの間に摩擦が起きていると考えてください。

それが自分の身体の内臓から、いま自分が直面している問題にまで出てきます。そして社会がどう考えているか、自分の身体がどうエネルギーを受け入れるかということからも摩擦は出てきます。

ですから最初にやってほしいことは、自分がそのエネルギーと対等だと知ることです。

それによって摩擦が減ります。

摩擦が起こるのは、自分のエネルギーと新たなエネルギーを対等にすることを怖れているからです。たくさんの人がこれをやります。

自分がそうなってしまったら、どこか未知の分野に足を踏み込んでしまうという怖れです。

でもなぜ未知のものを、自動的に怖れてしまうのでしょう。

それは皆さんが長い間、未知のものは怖いもの、否定的なものと教えられてきたからです。

でも皆さんは、すべて創造者です。

自分の考えていることを、自分の外にも創りあげていく人々です。

ですから、未知のものを肯定的なものだと考えれば、肯定的なものしかやってきません。どんなことが起きても、それを肯定的に使えないということはないのです。

怖れる対象が問題なのではなくて、怖れること自体が問題なのです。

どんな状況でも、怖れを伴わなければならないと最初から決まっているわけではありません。それを見るあなたの見方によって、抵抗や怖れを生み出します。

自分の中に痛みが走ったら、考えてみてください。こんな痛みを体験するためには、自分はどんな観念を持っていなければいけないのだろうと。

その観念はどんなものか。正直に自分の中を見ていってください。

そしていままで自分に教えたれていた観念を探してみてください。

教えられてきたものが見つけられれば、どんな新しい観念が欲しいのかも見えてきます。

ここは大切ですからよく聞いてください。

これが欲しいという新しい観念を自分で見つけたら、新しい定義づけを認識します。認識するだけで古いものを新しいものが入れ換わります。

なぜならそれが起きるのは、あなたがそれを望んでいるからです。

望むだけで充分なのです。

新しい観念を見つけたら、これを実際に自分のものにするにはどうしたらいいか、長いプロセスを経なければ自分のものにならないのではないか、と考える必要はありません。

すべての定義づけを排除するのは難しい、という観念が自分の中にあると難しくなります。

皆さんの社会は、定義づけの上に定義づけして、そしてそれをさらに定義づけするという、非常に複雑な構造になっています。

自分でつくった定義づけを、それは宇宙の真理、宇宙の法則だと思い込んでいることすらあります。

もうこれは普遍的なものだと思い込んでいるものもたくさんあります。

よく、こんなことを言いませんか?

「これを変えるのが難しいことはみんなが知っている」と。

変化するのが難しいことはみんなが知っていると思っているとき、自分にとっても難しいのです。

それすら自分の定義づけだと知っていれば、もうこんなものは欲しくない、変えたいと思うことができます。

「ではなにを新たな考え方としよう?」「簡単に変えられるという観念を自分で決めたらどうだろう」と考えるとき、それは古いものを捨てるということではありません。

古いものから新しいものに代えるとき、その古いものを愛し、それが今まで自分に教えてくれたことをいとおいく思えれば、一番速く進めます。

古いものが自分に教えてくれることのひとつは、古いものはもう自分には必要ないということです。

「自分がなにでないか」を教えてくれる古いものに感謝してください。

それによって「自分がなにであるか」に近づきます。

ですから痛みがあったらそれを自分のものにしてください。

否定しないでください。

自分のものにすると、変化させることができます。

自分のものにすると、自分でコントロールできます。

それを否定しろということではありません。

否定しようと思っても否定できないのです。いままで持っていたエネルギーですから。

ただその形を変えたいだけなのです。

地球の科学でも、エネルギーを消すことはできないということを知っています。形を変えることしかできません。

人生の中で嫌なことが起きたとき、自分をそれから切り離そうとします。

でもできません。できないのです。

ですからそれを変えようとしないで、変わることを許してあげてください。

自分で望む方に自分の考え方を変えてください。それによって変化することを許してあげることができます。
そして呼吸をしてください。

たっぷりと呼吸をしてください。

吸って・・・吐いて・・・。

「瞬間リラックス」を読んで

2012年07月28日 20:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
瞬間リラックス―心と体に効く驚異のリラックス法100図書館で借りた本「瞬間リラックス―心と体に効く驚異のリラックス法100」を読んで響いたところをメモ。

たくさん借りたリラックス本の最後の一冊。この本が一番分厚い。訳者のあとがきにもあったけど、リラクゼーションの百科事典という感じで、幅広い内容で読み応えがあった。

リラックス法もたくさん紹介されていて、とても参考になった。この本では特にパワー呼吸という横隔膜を動かして肺全体を使った深い呼吸にポイントを置いているようで、他のリラックス法の説明の中にも「〜して、あわせてパワー呼吸もしましょう」というような説明が度々登場する。

ゆったりとした深い呼吸にとてもリラックス効果があるのは、僕も実感したことがある。以前なんとなくダウンロードしたPranayamaというアプリ。これは呼吸のパターンと時間を設定したら、後はアプリの指示に従って呼吸するだけなんですが、試しに15分ぐらい呼吸をすると、心身ともにとっても軽くなったので、一時期ハマった。この本を読んでそれを思い出したので、最近またこのアプリを使っている。

さて、それ以外で自分に響いたのは、「Aタイプ」と「Bタイプ」という行動特性による分類に関してのとこ。

P.310 より引用
●Aタイプの性格
  • 自らストレスを生み出す。
  • 目標の達成を重要と考える。
  • 競争心が強い。
  • 強引である。
  • 目標を高めに設定する。
  • 厳しいデッドラインを設定する。
  • 一度に複数のことをやろうとする。
  • 極限まで頑張る。
  • せっかち。
  • 忍耐力がない。
  • すぐに退屈する。
  • 早口でまくしたてる。
  • 早くて浅い呼吸をする。
  • 物腰がせわしない。
  • 自己中心的。
  • 忘れっぽく、ミスが多い。
  • コーヒーなどの摂取量が多い。
  • リラックスしていることがうしろめたい。

●Bタイプの性格
  • 外からのストレスを感じる。
  • 「物欲」がなく、「生きること」に興味がある。
  • 野心はあるが、過度の競争心はない。
  • Aタイプ人間よりものんきである。
  • 現実的な目標設定をする。
  • 無理のないデッドラインを設定する。
  • 仕事はひとつずつ順番に片づける。
  • 自分の限界を知っている。
  • リラックスしている。
  • がむしゃらになったり、のめりこんだりしない。
  • 物事のおもしろい面を見つけるのがうまい。
  • 話し方がゆっくりで、人とのコミュニケーションがうまい。
  • ゆっくりと深い呼吸をする。
  • 物腰がゆったりしている。
  • 気さく。
  • 整理整頓がうまく、ミスが少ない。
  • コーヒーなどはほどほどに摂取する。
  • くつろぎの時間を楽しむことができる。

 たいていの人は、AタイプかBタイプのどちらかに偏るはずです。
 リストの下段に思い当たる項目の多い人はBタイプの人間です。そういう人はこの章を飛ばしてかまいません。Bタイプ人間はAタイプ人間よりも寿命が長く、病気にかかりにくく、ストレスがらみの問題に苦しむことも少ないはず。Bタイプ人間のほうが物事をうまく能率的に処理することができ、日常の浮き沈みにもうまく対応できます。

正直こういう分類はあまり好きではないですし、必ずしもBタイプがいいとは思わないですけど、以前の大きなストレスを感じていた頃の僕は確かにAタイプに偏っていました。でも今はBタイプになるでしょう。我ながら変わったと思います。

Aタイプの頃は「自らストレスを生みだしてる」とは思ってなかったですけど、ストレス真っ只中の自分やまわりを観察する中で、自分でもそうしてることに気づいてきて、でも抵抗して、気付いたらやっぱりストレスを選んでいて...まあそんなことを繰り返しながら、最近やっとリラックスすることを許せてきたという感じ。確かに外からのストレスを感じないわけではないですけど、それを自分にとってのヒントだと思えるので、抵抗せずにすみ、リラックスを選ぶことができてる。そんな気がします。

本ではストレスを抱えるAタイプの人がBタイプに近づくためのテクニックがいろいろ紹介されていましたが、その中の「自分にリラックスする許可を与える」というのはまさしく僕がやってきたことかな。それ以外で響いたとこを最後に。

P.320 より引用
子供は、大人(特にAタイプの大人)にはない天性の力を持っています。どうしたら自然体でいられるか、どうしたら笑えるか、どうしたら楽しく過ごせるか、どうしたら人生をありのままに受け入れられるかを、本能的に知っているのです。それに、子供は失敗を恐れません。
 ですから、子供がストレスや悩みと無縁なのは、べつに不思議なことではないのです。

 子供にかえりましょう。Aタイプの特徴がもっとも出ているときはなおさらです。そうすれば、ストレスとは無縁の子供の特性を身につけることができるでしょう。

「リラックス生活のすすめ」を読んで

2012年07月17日 17:55 | コメント(0) | トラックバック(0)
リラックス生活のすすめ―脱ストレス学入門図書館で借りた本「リラックス生活のすすめ―脱ストレス学入門 」を読んで響いたところをメモ。

この本は初版が昭和58年発行だから30年ほど前のものだ。著者はそのころでもすでにひどいストレス社会になってしまったと危惧してリラックス生活をすすめている。

「ストレス菌が猛威をふるう」なんて表現があるぐらい危機感があったんでしょうけど、そこまでストレスを忌み嫌わなくてもいいかなとも感じた。

ストレスについての説明や、日常生活の工夫などあり、リラックス法もいくつか紹介されている。ジェイコブソンの漸進的筋弛緩法シュルツの自律訓練法白隠禅師(はくいんぜんじ)の軟酥(なんそ)の法、なんかが参考になった。

漸進的筋弛緩法は物理的に体を動かしてのリラックス法で、後の2つはイメージを使ったリラックス法と言えるかな。リラックス法はだいたいこの2種類に分類できるのかも。

それ以外に、ちょっと響いたところ。

P.153 より引用
 16世紀のヨーロッパ最高の知性人トマス・モアは名著『ユートピア』を著した。モアは理想郷ユートピアを仮想し、そのユートピア人の考え方や行動を通して真の豊かさや幸福な生活のあり方を説いたのである。
 ユートピア人はみな物的にたいへん豊かである。ほんとうに豊かであるゆえに、物への執着を断つことができて、彼らは質素な生活のほうを好むのであった。
 成金の外国人がこのユートピア国にやって来ると、ユートピア人が質素な生活をしているのを見て、それは貧しいからに違いないと思いこんでしまう。そこで、成金たちは、金製品や宝石をちりばめた所持品を得意顔で見せびらかすのである。
 ユートピア人は、そんなものは子どものオモチャのようなものだとして扱っているので、外国人にこうたずねるのであった。「どうしてそんな金(きん)を眺めて楽しそうにしているのですか」。すると成金たちは、「人間というものは、ゆとりが出てくると、美しいものを観賞したいという気持ちが生まれてくるものなのですよ」(本音は、高価な金をたくさんもっていることを誇示することがうれしいという虚栄心)と言うのであった。
 そこでユートピア人はいう、「黄金の輝きが美しいというのなら、どうしてあなたがたは、日の出の壮麗な金色の美しさを鑑賞しないのですか。それにくらべたら、そんなのはオモチャのようでしょう」
 成金たちはそれでも言った。「そうかもしれないが、このダイヤモンドの輝き、この美しさに優るものはない」。しかし、ユートピア人は首をかしげてつぶやくのであった。「夜空にまたたく、数え切れない、たくさんの星の輝き。それはあなたのいくつかのダイヤとはくらべものにならない美しさなのに」
 成金たちはけっきょく審美への希求ではなく、虚栄にとらわれていたのにほかならない。

「RELAX HACKS!」を読んで

2012年07月07日 11:46 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「RELAX HACKS!」を読んで響いたところをメモ。

この本は前の2冊に比べて、より物質的な側面から、自分を満足させたり、余裕を作ったりする方法をたくさん紹介する。オススメの家電や飲食物、仕事術、整理術、オフ過ごし方など。そういう意味では分かりやすいアイデアがたくさん詰っている。

リラックスのために、お金を含めてエネルギーを使い、色々工夫するのは素晴らしいことだと思う。

そんななかでも、感覚的な話がところどころに出くるのが面白い。

P.60 より引用
 ある学者にインタビューをしたとき、こんなことをおっしゃっていました。
「考えるときにはボーッとするんです。山手線に乗って何周も回りながら、時折、おもいついたことをメモする。それが発想のコツですね。」
 悩み事を抱えてうんうん考え込んでもなかなかいい解決案は見つからない。創造的なアイデアを出そうとしたら、むしろリラックスしてぼんやりする時間が必要だと言うのです。

よく分かる。僕の場合はウォーキング中にアイデアが浮かぶことが多い。

P.121 より引用
 たとえば外部の環境だけど、とても快適なものに変えたとします。しかしそれを「心地よい」と感じるためには、感じる側の準備も必要です。いらだっていたり、緊張しているときには、やさしい小鳥のさえずりさえ、耳障りなものに聞こえたりします。どのように聞こえるかは、受け取り手の状態に依存するのです。
(中略)
内部環境である思考を研ぎ澄ませることによって、外部環境の微妙な変化に気付く。そうなると、外部環境のちょっとした違和感に気付き、それを改善しようとする。それはたとえば、添加物の入っていない食べ物を食べ慣れていると、添加物の入ったものを口にしたときに、すぐ気付くようなもの。より鋭敏な感覚を持つことができるのです。
 外部環境に気を配りながら、最終的には自分自身の内部の環境をクリアにしていく。そういう意識でリラックス環境をつくっていってみてください。

この2年間、図らずも自分の部屋の中がどんどん変化してきている。色々工夫してレイアウトを変え続けてきた、掃除の頻度も増えたし、今は自分にとってかなり居心地がいい部屋になっている。確かに、その変化は自分の内側の変化とリンクしているかも。美味しいと感じるものが変わったし、より直観的に物事を選択するようになった。

P.171 より引用
 ストレスは、意外にも本人はストレスだと感じていないことが多いものです。ストレスを抱えたまま、知らず知らずのうちに無理をしていまい、気付いたときにはすっかり体調を崩してしまいます。まずは認識を正しく持つ。ストレスを感じているのだと気付くことが、リラックスハックの第一歩です。
 その上で、リラックスしやすい行動を工夫する。自分の状態を認識できるようになっているので、たとえば2分でできることを先に処理すると「ストレスが少ない!」と気付くことができるのです。この上司にはこういう対処をすればストレスにならない、アポはこうやって取ればストレスにならないなど、さまざまな工夫が生まれてきます。
 正しい認識の先に正しい工夫の仕方が生まれ、その上でリラックスした状態がやってきます。「ストレスを感じている自分を認識する」というのは、リラックスすることとは反対のことのように聞こえるかもしれませんが、じつは、リラックスへの王道なのです。

これもよく分かる。身を固くして、感覚を鈍化させて、ストレス耐性を強くするというのが一般的なストレス対処法なのか、昔からの伝えられたきた正しい在り方なのか、ストレスもリラックスも感じにくくなってることが多いのかも。

P.191 より引用
 究極のストレス解消テクニックは、感謝の気持ちを持つこと。
 大変なプレッシャーのかかる仕事が来たときに、「成長の機会がもらえてうれしい」と思うのか「大変な仕事ばかり回ってきて大変だ」と思うかでは、ストレスの度合いがまったく異なります。
(中略)
 しかしそれでも、言葉として感謝をしておくと、そのうち気持ちも落ち着いてきます。自然と前向きな気持ちでトラブルにも対処できるようになります。
 そして夜寝る前には、ストレスになった出来事を、あえて思い出しながら一つひとつを感謝していきます。忘れようとしていても脳はしっかり覚えているもの。であれば、臭いものにふたをするのではなく、いやなことにもしっかり向き合って、気持ちの上だけでも対処しておくといいのです。

何かにストレスを感じているということは、自分にとって素晴らしいヒントになる。答えは出なくても、強いストレスほど、何かに気付くための大きなヒントなのかも。

「いやな気分を消す方法」を読んで

2012年07月04日 11:32 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「いやな気分を消す方法」を読んで響いたところをメモ。

この本はリラックス法をたくさん紹介する。物に触れて心を集中させたり、香りに意識を集中させるなど五感を使う方法や、イメージを心の中で再現する方法、自分の呼吸を観察する方法など様々だ。

著者は、全部試してみて、いいと思ったやり方を選んで、実践することを勧めている。

リラックスすることの効果については次のように説明がある。

P.26 より引用
 さらに、リラクゼーションがもたらす即効的なメリットをいくつか挙げておこう。まずエネルギーがわいてくること。体がより健康になること。記憶力や学習能力や対人関係が改善されること。つまり、落ち着いた精神は健康な体や冴えたアイデアをもたらし、さらには人間関係をも改善するのだ。
 僕自身、リラクゼーションで精神の疲労を和らげたときには、より多くのエネルギーを自分自信に、そして愛する人々に向けることができる。そして自分と他人に注意を向ける余力があればあるほど、より幸せな気持ちになれる。さらにもうひとつ、心が無益な考えでいっぱいになっていないときには、必要なことを難なくおもいだすことができ、また新しい経験や知識をたやすく受け入れることができる。このようにリラクゼーションは人生の質を向上させるのだ。

思考についての説明も、なるほどと思った。

P.17 より引用
 私たち人間の脳には一日に六万以上もの思考が去来するらしいが、興味深いことに、意図的に舵(かじ)をとらず脳の好きにまかせておくと、その思考のうち90%以上は、前の日に生じた思考と同じものになるという。

本の終わりの方では、リラクゼーションの道のさらに奥のことについて書かれている。

P.138 より引用
 さらにもうしばらく練習をつづければ、こんどは意識を何かに集中させなくとも心を静められるようになる。そして頭の中から、これから起こることへの期待も、今起きていることへの批判も何もなくなったとき、あなたは瞑想の世界に足を踏み入れる。そうなったとき、ひとりでにすばらしい出来事が起きるのだ。
 けれど、僕の言葉をそっくりそのまま受けとめるのは禁物だ。自分自身で試して、確かめてみてほしい。経験にまさる教師はなし。

素晴らしい!

調子に乗って、最後のまとめも残しておこう。

P.173 より引用

忘れないでほしいこと

  • いろいろな技法と瞑想そのものを混同しないように。数を逆に数えたり、キャンドルの炎を見つめたりすることはリラクゼーションの技法である。それにたいして瞑想とは、呼吸と呼吸のはざまにおのずから起こるものだ。技法を超越し、思考の世界から抜け出したとき、瞑想はおのずから生じている。
  • 一瞬一瞬に留意しながら、心を込めて、ていねいに生きるとき、人生はひとつの瞑想になる。
  • 人生そのものが瞑想である。いい日も悪い日も、ともにあなたの人生だ。一瞬一瞬を生きること。
  • 今日のあなたがどんなにめちゃくちゃな状態であっても、明日、心の平安を味わうことは可能だ。

「心が強くなるリラックス法」を読んで

2012年06月30日 15:33 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「心が強くなるリラックス法」を読んで響いたところをメモ。

P.3 「はじめに ― この心とからだのほぐし方・癒し方で自分が変わる!」より引用
 もしも心に色や形があるとしたら?
 おだやかで明るい心は、まるくてソフトで、お日さまのような色をしているでしょう。
 逆に、悩みや悲しみ、猜疑心などがいっぱいつまっている心は、かたくてギザギザとがっていて、おそらく曇った空のようなグレーではないかと、わたしはイメージします。
 そんな色や形のある心が、もし何か衝撃(ストレス)を受けたとしたらどうでしょう。まるくてソフトな心は、ほんの少しへこむでしょう。その衝撃がかなり大きかったとしても、一瞬ゆがんだ形は、やがてもとのまるい形に戻ると思います。
 ところが、かたくとがった心は、欠けたり割れたり、大変な傷を受けて、修復には相当な日時が必要に違いありません。
 つまり、鋼(はがね)のようなかたくてはりつめた心を持つ人が、何でもはね返す強さを持っているわけではないのです。むしろ、柔軟な心を持ち、リラックスして生きている人のほうが、どんなことにもめげずに、自分らしくのびのびと人生を送れるものです。
 これは、心だけの問題ではありません。気力や体力も、無理な頑張りよりもリラックスした状態から生まれることをご存知ですか。心とからだには密接な関係があります。心のしこりはからだの不調になって表れますし、からだをほぐすことで逆に心をほぐすこともできるのです。
 わたしは長年、心やからだに悩みを持つ方々の相談を受けてきましたが、心身をリラックスさせて癒すことで、多くの人が自分本来の力を取り戻し、より前向きな生き方に変わりました。
 本文でも紹介しましたが、性格はそのほとんどが後天的なもので、肯定的な考え方やプラス思考になると、必ず変えられるものなのです。...

前文ほぼ丸々ですが、ものすごく共感します。

多くの場合「まるくてソフトな心」であることを許せるようになるのは、かたくとがった心に大変な傷を受けるというステップを経てからなのかも。そういう意味では、心をかたくとがらせて頑張るというのも、遠回りのようで、近道なのかも。

あと、本の内容で参考になったのは「カラーイメージ呼吸」。パステルカラーは筋肉をゆるめ、精神を安定させる。ピンクは"癒す"パワーを持つ色。というのは分かる気がする。

リラックス法として何かしらイメージを使うのは、思考が普段の騒々しさを忘れてそれに集中するからなんでしょうね。日常の中でリラックスする時間をとれたとしても、結局アレコレ考えてしまって全然リラックスできてないってことよくありますもんね。リラックスの達人がいるとしたら、きっといつでも頭を空っぽにできる人のことでしょう。

リラックスすること

2012年06月23日 11:24 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りてきたリラックス本心地よい自分でいるのが好きだ。
いつもそういう自分を選びたい。

「あるがまま」とか「ありのままの自分を認める」とか「無条件に自分を愛する」とかも、それに関連することだけど、ちょっと抽象的。

最近気づいたことは「いつも自分をリラックスさせておくこと」。これをずっとやってきたし、よりそうなるようにやってるところ、なんだと。

例えば、フットサルをしてるとき、歌ってるとき、楽器を弾いてるとき、なんかは特に分かりやすい。巧くやろうとしたり、背伸びしたり、ムキになって頑張ったりすると、その時はよくても、本当は心地よくないことにどこかで気づいてた。

何かをやるとき、リラックスしてできてるか、が僕にとって最も大事な観点になってるかも。

そんな流れなので、図書館からリラックス関係の本をまとめて借りてきた。

「ヒーリング遊びの会」のイメージ

2011年12月15日 02:48 | コメント(0) | トラックバック(0)
セッションタイムイメージ.jpgヒーリング遊びのルールを少しずつ整理しています。

会の中でみんなでヒーリングセッションをする時間を「セッションタイム」と名付けました。画像はそのセッションタイムのイメージを簡単な絵にしたものです。



セッションタイム中の役割にも音楽のセッションになぞらえて名前をつけてみました。

プレイヤー:施術するひと。(絵では赤)
ミラー:施術を受けるひと。(絵では緑)
オーディエンス:施術をまわりで観るひと。(絵では青)

ミラーは鏡の意味で、音楽絡みと言うにはちょっと無理やりですが、舞台装置としての鏡ということで許してください。本当のところは、プレイヤーにとって自分自身を映していいヒントをくれるのがミラーだという経験上のアイデアからきてます。

「施術」って言葉もあまりフィットしないので、「セッション」でいきましょう。

だから例えばこんな言い回し。
「奥のベッドで、プレイヤー2人とミラー1人がセッションしています。」
「オーディエンス2人が長椅子に座って、2つのセッションを観ています。」
「どの役割のひとも、自分自身の心地よさを大事に、セッションを楽しんでいます。」
カテゴリ:ヒーリング遊び

「ヒーリング遊びの会」をやりたいナ

2011年12月10日 19:33 | コメント(0) | トラックバック(0)
ヒーリングセッションを通して「施術する側」への癒しが起こる。指圧や整体でもよくあること。ワタシ知ってます。

これってステキ。じゃあ「自分自身の癒し」にフォーカスしたヒーリングセッションってのもアリじゃない?

それをみんなでやりたいのです。

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カテゴリ:ヒーリング遊び

本当の自分が顔を出すとき

2011年12月02日 19:01 | コメント(0) | トラックバック(0)
schola(スコラ)坂本龍一 音楽の学校」というテレビ番組が好きです。

番組概要より
「音楽の学校」というコンセプトのもと、音楽を志す中学生〜高校生(メインは中2〜高1)をターゲットにして、ワークショップや有識者による対談、豊富な資料映像で音楽の深遠に迫ります。坂本龍一本人によるスペシャルライブも紹介。音楽の魅力を語り・教え・演奏するという、これまでに無いスタイルの音楽番組です。

坂本さんも含めて有識者の方々で、フリートーク気味に音楽の歴史的背景などを解説してくれたりするのですが、それぞれのオタク心がトキメイているのが見え隠れするんですよね。もちろん大人として、それを聞いている学生たちにも分かるように、抑えて、噛み砕いて説明してくれるので、そのあたりに詳しくない僕にも、わかりやすく、歴史的音楽の流れが楽しく理解できるんです。

その間、坂本さんはすごく自然体ですけど、進行役としての役割を果たしているわけです。

僕にとっての一番の見所は、そんな坂本さんがワークショップのコーナー中に子供に戻る瞬間です。

そのワークショップではムチャぶり的テーマで学生たちがアドリブの合奏をしたりするんですが、そこで生まれるハーモニーが坂本さんや有識者の方々の想像を超えることがあるようで、びっくりした顔で目配せするんです。

そうなると、いてもたっても...という感じで子供のようにキラキラした目の坂本さんがササーッと楽器に近寄り、遊びだすんです。

そしたら、観ている僕もパッカーって何かが開いてツラレます。その感じ僕も知ってる〜♪

例えるなら、公園でおもしろそうな遊具を見つけた子供が、一目散に駆け寄るみたいな。

僕の場合、それをよく感じのは、ヒーリング等の練習会・交流会のときです。狙いもなく、そこだーって自然に意識が向かう感じ。そしてその通り動いたら、心地よいバイブレーションと一体化する。

本当の自分が顔を出すのはこのときです。

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女性にしかないとされていた臓器が男性にも見つかった

2011年12月02日 03:45 | コメント(0) | トラックバック(0)
例えるなら、そんなインパクトのある気付きが一昨日にあった。

今年になってからのことではあるが、バシャールのメッセージは自分にとって芯から響き、そのエネルギーに親近感を感じてきた。それは自分の中に同じものがあるからだって、先日クリアになった。

対象的に、天使や妖精と聞くと、ピンと来ないし、興味を感じるものではなかった。それは近しいエネルギーが自分の中にないからと言えるのかもしれない。

ところが、ある一連のヒントの整理をして、ひとつのメッセージにまとまってきたとき、これは妖精からのメッセージだというインスピレーションがあった。その辺りの情報に疎いので、もしかしたら天使からのメッセージという表現の方が妥当かもしれない。

その後、もう一つ天使/妖精からのメッセージと認識するものがあって、それは知人宛のものだった。

普段の会話の中でも時々自分がチャネリング状態で話してるのを自覚するが、バシャールのエネルギーとつながってるんだろうなって認識していた。

ところが、今回のは、いつもと違う?
半信半疑ではあったが、ピンと来たら、判断せずに、期待なしに、速やかに行動するということで、次の日に、本人にそのメッセージを伝えた。

初任務を終えた後、とっても清々しい気分になった。
天使/妖精からバシャール経由でのメッセージ、と説明したが、メッセージの出どころなんて大した意味はなかったのかもしれない。

その後、ウォーキングでの帰り道。

実は天使/妖精からのエネルギーはだいぶ前から届いていたことに気付いた。ただ、それを認識してなかっただけだと。最初に受けとったメッセージの一連のヒントは数ヶ月前からのものだから。

そこで、も一つ気付いた。目立たないけど、天使/妖精系のエネルギーも自分の中にあると。

すでに、自分のなかで、バシャールと天使/妖精系エネルギーが混ざって調和し始めたんじゃないかと。

自分にとって、バシャールのエネルギーは、フランクで、どちらかと言うと不真面目だ。ぶっ飛んでもいる。
一方、天使/妖精系のエネルギーは、神聖で、実直。より一般的現実に即している。

太陽と月。男と女。とも言えるのかも。

それを統合していくという遊びが始まったのかな。

とは言っても、今のとこ天使/妖精というワードに特別興味が高まったように感じない。ヘェ〜なるほど無関係ではないんだ! という感じ。そのインパクトを例えるなら、掲題の通りだ。

一人では成立しない一人遊び

2011年12月02日 00:28 | コメント(0) | トラックバック(0)
日常のヒーリング遊び。これって哲学なのかなってふと思った。

確かに自分を見つめて何かを表現しているんだけど、感じるままにやってるという意味では、どちらかと言うとアートかな。

でも、どっちもシックリこない。
それらの言葉から受けるような高尚さやストイックさがないからかな。

ゲーム、もしくはパズル?
うーん。近いけど...

競争や勝ち負けがあるわけではないし、ヒントを見つけて何かに気付くことは、攻略することとちょっと違う気がする。

やっぱり遊びだな。
一人では成立しない一人遊び。
それぞれが一人遊びしてても、お互いに出し合ってるヒントが重要。みたいな。
そんな表現でシックリきた。
カテゴリ:ヒーリング遊び
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