P.123 より引用
自己否定について。
この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。
真の愛の反対語は「罪悪感」です。
私のいう罪悪感とは、なにかバランスがくずれたときに、それを直さなければいけないというところからくる自然の罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。
どんなに小さな「否定」だとしても、です。
ほんの小さな罪悪感でも、その人格全体を抹殺することができます。
ちょうど、ほんの少量の毒でも人間一人を殺せてしまうように。
ですから、皆さんの怖れを自分から離してあげてください。
そして自分自身の肯定的な面を信頼し始めてください。
究極的な信頼、無限の信頼です。
究極的な信頼というと、たくさんの人はもうそこで怖がっていまいます。
なぜなら、究極的な信頼など、とても難しくてできないと思うからです。
よくこの世では、なんでも100%常に信頼することなどできないといいます。
たくさんの人たちが、いつでも必ず少しくらいは懐疑的になる、疑いが残るといいます。
でも私たちから皆さんを見ていると、皆さんは常に100%自分を信頼しています。
“ほんの一瞬でも、皆さんが自分を信頼していない時はない”のです。
皆さんの社会では「疑いとは信頼がないとき」という定義づけをしています。
でも私たちから見ると「疑いは信頼の欠如ではない」のです。
私たちから見れば、皆さんの言う「疑い」は100%の信頼を「否定的に」みたときの言い方なのです。
信頼を否定的にみるとき、否定的なものを信頼したときが「疑い」なのですが、皆さんは否定的な「疑い」が肯定的な信頼よりも力を持っていると思っています。皆さんは、100%肯定的な方に置かないで、信頼を100%否定的な方に置いているだけなのです。
ですから100%信頼を始めてくださいというときに、皆さんが「えー、またか・・」と感じる必要はないのです。皆さんがいままで知らなかったことを学ばなければいけない、と思う必要はありません。
やるべきことはたったこれだけなのです。
否定的な方に持っていた信頼、現実を、肯定的な方に移せばいいだけです。
非常に簡単なことです。
非常にシンプルです。
非常に楽しいことです。
そして自分自身がまた、パワフルになることができます。
無限とつながることができます。
それによって自分が大きな創造の存在の一面だということを思い出すことができます。
自分に力がない、と思うこともなくなります。
すべての創造物から自分が分離されている、と感じる必要もなくなります。
普段のヒントを整理するなかで罪悪感や自己否定的なものが出てくることは、よくある。
そういうときは、背中がゾゾゾとなる。
ネガティブなエネルギーを自分で選択している瞬間なんでしょう。
それを見ること自体は否定することないんでしょうし、怖れる必要もない。
ただ、それは心地よくないし、もう体験する必要がないなら、選ばなければいい。
だから「すべてを100%肯定的な方に信頼する」ことを選ぶ。シンプルに。