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「許してあげる(allow)」とは

2012年08月21日 14:35 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール3」を読んで響いたところをメモ。

バシャールのよく使う言い回し「許してあげる(allow)」とは?

P.258 より引用
「起きることを許してあげる」ということは、自分で責任をもっていて、そして機会がやって来たときに無視をせずに、すかさず、行動を起こすということです。

「私はなにもしないで寝ている」というのではありません。

チャンスは、あなたの膝の上にやってくるかもしれません。

でも、「あなたが」それに対して行動を起こさなければなりません。

あなたが、そのチャンスに対して行動を起こすという意志を見せることが、イコール、あなたがなりたい人になるという意志なのです。

プロセスを信頼し、直感やシンクロを元に行動に移す。

たとえ、その行動の先にあるものが見えなくても。

行動の先にあるものの確認や分析は行動後でもいい。

結果、何を体験し、どんな反応をし、どういう意味付けを選択するか。それが醍醐味。

そういう遊びを楽しむことを責任を持って自分に許可します。

本当に実現したいことは努力の必要なし

2012年08月20日 20:17 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール3」を読んで響いたところをメモ。

様々なメッセージの中で、特に響くものがある。

それが正しいとする根拠や経験がなくても、直感的に正しいと感じる。

自分にとって正しいと知っている。

そして、この現実の体験を通してやっぱりね!と確認したい。

特にそう感じるのがこのコンセプト。

P.191 より引用
「行動」からのみ「現実」と「体験」が創られます。


自分を最初にショートさせてしまう観念のひとつは「自分が本当に望むものを行動に移すには、大変な努力とスタミナが要る」という観念です。

どういうふうにしたら行動に移せるか、その方法をいろいろ考えるだけでくだびれてしまいます。

(笑)

これが、最初に話した非常に弱い思考パターンです。

ここで強調したいのは「自分が真に一番強く望んでいることは、努力の必要なしに実現化できる」ということです。

なぜなら、それがあなたの本質に一番近いからです。


スタミナが必要になるのは「自分自身でないもの」になろうとしているときだけです。


これをやると本当に疲れます。

フラストレーションもたまります。


でも多くの人は「本当にしたいことをやろうとしているけれど、それでもフラストレーションがたまるし、くたびれる」と言うかもしれません。

でもそれはなぜかというと、あなたが本当にしたいことを「している」のではなく、ただ「しようとしている」だけだからです。


「しようとしている状態」は、本当のあなたの状態ではありません。

「しようとしている状態」とは、まわりの現実と自分との共時性(タイミングがうまく合うこと)を信頼していないときに起きます。

自然が自分に与えてくれた道具を信頼していない、ということです。


しようとしている状態は、まだ、「まわりの人が“期待”していること」をやろうとしているときです。


しようとしているときは、まだ、「努力を必要としない本当のあなた」以外のパターンに従おうとしています。


自分が一番ワクワクすることを「自然にやってくる一番明白な機会」に行動に移せば、努力はまったく要りません。


ですから、皆さんの「自分でしたいことをするには、たくさんの努力とスタミナが必要だ」という観念を、丸めて窓から捨ててください。

だからといって、チャレンジがなくなる、ということではありません。

自分が本当にしたいことをしているときには、チャレンジをもっと歓迎することができます。

なぜなら、それは本当に自分がしたいことの延長となるからです。

そして、それについてもっと多くを学ぶことでしょう。

このようなチャレンジは、本当に自分がやりたいことですから、フラストレーションもたまりません。

どちらかというと、興奮のあまり、眠ることも必要ないくらいになったりします。


ここで言っているのは、自分のフィーリング、すなわち感じているところから行動にいく前にそれをショートさせないで、ということです。

いろいろな言い訳が次々と出てきて、自分のやりたいことができるはずがない、と自分を説得し始めます。

また、こういう方法でやらなくてはいけないと教えられてきたことを頭から信じてしまう必要も、まったくありません。

どんなことでも、それを成し遂げるための、何百万通りの方法があります。

物事に対する様々な定義づけの扉を、自分で閉めてしまわないでください。

物事を実現するのに、このような方法もあるのだという「新しい創造的な定義づけ」が自分にやってくるまで、少しのんびりと座って見ていてください。

人間関係について

2012年08月17日 22:41 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

P.204 より引用
それでは魅力、引きつけるということについて話してみましょう。

自分がなにかの人間関係に引きつけられる、あるいは人間関係を自分に引き寄せるときの基本的な事柄です。

もう一度思い出してほしいのは「あなたの波動があなたの現実を創りだす」ということです。


皆さんはこの社会の中で、自分は人間として半人前だということを、よく学んできたようです。

ですから、たくさんの人達が外を歩きながら「自分は完全ではないのだ」という波動を出して、完璧な人を見つけようと目を外に向けています。

実は、自分自身が完全な存在だということを忘れています。


最初の実習でやったように、あなたが誰であれ、自分の中に男性エネルギーと女性エネルギーの両方を持っています。

そのふたつのバランスがとれたときはじめて、本当に完全な波動を持つことができます。


自分が完全でない、どこか欠けていると思って歩きまわっていると、だいたい同じような考えを持った人を引きつけます。

どこか自分の理想には足りない人が自分の目の前に現れて、その人に引きつけれられ「あなたは自分のことを完璧ではないと思い込んでいますよ」と教えられます。


たくさんの人達が自分のことを「犠牲者」だと思っています。

人のものを全部背負って、次から次へと人間関係を渡り歩きます。

そして自分はどこかおかしいに違いない、と思い込み始めるのです。

そういった人の人間関係には「自分はなにかが間違った人間だ」ということが反映されます。人間関係は、自分の中の、完全でないと思い込んでいる部分を反映して見せてくれるのです。

ということは同時に、自分がその部分を変えられるということです。

否定的な状況が人生の中に起こったからといって「こんなところで引っかかっていて、お前は本当にどうしようもない奴だ」と言われているわけではないのです。いまあなたが自分のことをどう思っているかを鏡として照らし出し、反映してくれているだけなのです。

自分でそれがいやなら変えられます。

その機会を与えるために、見せてくれているだけなのです。


社会の中でいろいろなことを学び、ある思い込みをもつことで、皆さんは次のようなことをやっています。

自分の期待を裏切るような人達に、何人も何人も出会うことによって、やっと自分が誰であるかを見つける、というやり方です。

「排除法」で、これも違うあれも違うとやって、最後の最後でやっと自分を見つけることを許してあげるという「疲れる」やり方です。


いままでの人間関係を振り返って「あれは自分ではなかった」「これも自分ではなかった」「だからこれが本当の自分に違いない」と思います。

もしそれをやるのが本当に好きだったら、残りの人生のすべて、それをやることもできますし、次に生まれ変わったときにも、またその次に生まれ変わったときにも続けることができます。

しかし、その代わりに、いまここで自分はどうなりたいのかということを見ることもできるのです。


自分でない部分を見たくてたくさんの人間関係を創っていくのは、本当の自分を忘れてしまったときか、本当の自分に直面するのが怖いときです。


宇宙は常にバランスを保とうとします。

自然はあなたとは「バランスがとれたあなた」です。

自分のバランスがとれていないとき、宇宙はそれを知らせるために、いろいろなものを創って見せてくれます。


自分自身を完璧と見ていないとき、外に完璧なものを探そうとするときは、充実した満足のいく人間関係は手に入りません。

とても面倒な人間関係をもたらします。

本当に満足して、充実しているとき、それを反映するような人間関係を引きつけます。


しかし、自分が本当にワクワクすることをやっているときでも、まだいろいろ学ばなくてはならないような人を引きつけることがあります。

そうすると、あなたは自分にこう聞くかもしれません。

「これだけワクワクしているのに、この人はなにを見せてくれようとしているのだろう?」と。

ただ、ときには、他の人がワクワクした状態を探すための手伝いをすることに、あなたが同意している場合があります。

あなたがその人を引きつけて「輝けるモデル」としてのあなたを見せてあげるときがあるのです。

もしくは逆に、他の人があなたを引きつけて、「こういう人になりたい」と思うようなモデルを見せてくれる、ということです。


そういう人間関係がきたとき、それを否定的に見てしまうと「あなたは私には値しない」とか「私はあなたには値しない」というような言葉が出てきてしまいます。

でも、自分と似た波動しか寄ってこないのです。

どこかで同意ができているのです。

ですから、そのときの自分に一番いい人が引き寄せられてきているのだということを覚えておいてください。

だからといって、それがたったひとり、特定のひとりであるとは限りません。

ときによっては同じようなレベルで、ひとり以上の人と関係ができることがあります。


私たちの世界では、すべての人間関係は相互に、包括的に働きます。

皆を啓発するように働きます。

除外するようには働かないのです。


次に言うのは非常に大切なポイントです。


すべての人間関係は、統一性を持って直面するとき啓発し合います。

ひとつの人間関係、もしくは多数の人間関係でも、秘密を持っていたり、正直に相対さない場合、排他的な人間関係になります。

あなた自身がハートをオープンに、コミュニケーションをオープンにして、正直に付き合っているとき、すべての人間関係はより活気づく方向に行きます。

いろいろな人間関係の中で、なぜそういうことが起きているのか、自分で、はっきりと分かります。

人間関係はヒントの出し合いっこ。

そう見るとどんな人間関係にも感謝できる。

嫌な奴役をやってくれたひとには特に感謝してもいい。

だから、一緒に人間関係を創造してくれる(た)すべてひとに。

「あなたがいてくれて、ありがとう」

自己否定について

2012年08月16日 23:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

P.123 より引用
自己否定について。

この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。

真の愛の反対語は「罪悪感」です。

私のいう罪悪感とは、なにかバランスがくずれたときに、それを直さなければいけないというところからくる自然の罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。

どんなに小さな「否定」だとしても、です。

ほんの小さな罪悪感でも、その人格全体を抹殺することができます。

ちょうど、ほんの少量の毒でも人間一人を殺せてしまうように。

ですから、皆さんの怖れを自分から離してあげてください。

そして自分自身の肯定的な面を信頼し始めてください。

究極的な信頼、無限の信頼です。

究極的な信頼というと、たくさんの人はもうそこで怖がっていまいます。

なぜなら、究極的な信頼など、とても難しくてできないと思うからです。


よくこの世では、なんでも100%常に信頼することなどできないといいます。

たくさんの人たちが、いつでも必ず少しくらいは懐疑的になる、疑いが残るといいます。

でも私たちから皆さんを見ていると、皆さんは常に100%自分を信頼しています。

“ほんの一瞬でも、皆さんが自分を信頼していない時はない”のです。


皆さんの社会では「疑いとは信頼がないとき」という定義づけをしています。

でも私たちから見ると「疑いは信頼の欠如ではない」のです。

私たちから見れば、皆さんの言う「疑い」は100%の信頼を「否定的に」みたときの言い方なのです。


信頼を否定的にみるとき、否定的なものを信頼したときが「疑い」なのですが、皆さんは否定的な「疑い」が肯定的な信頼よりも力を持っていると思っています。皆さんは、100%肯定的な方に置かないで、信頼を100%否定的な方に置いているだけなのです。

ですから100%信頼を始めてくださいというときに、皆さんが「えー、またか・・」と感じる必要はないのです。皆さんがいままで知らなかったことを学ばなければいけない、と思う必要はありません。

やるべきことはたったこれだけなのです。

否定的な方に持っていた信頼、現実を、肯定的な方に移せばいいだけです。


非常に簡単なことです。

非常にシンプルです。

非常に楽しいことです。

そして自分自身がまた、パワフルになることができます。

無限とつながることができます。

それによって自分が大きな創造の存在の一面だということを思い出すことができます。

自分に力がない、と思うこともなくなります。

すべての創造物から自分が分離されている、と感じる必要もなくなります。

普段のヒントを整理するなかで罪悪感や自己否定的なものが出てくることは、よくある。

そういうときは、背中がゾゾゾとなる。

ネガティブなエネルギーを自分で選択している瞬間なんでしょう。

それを見ること自体は否定することないんでしょうし、怖れる必要もない。

ただ、それは心地よくないし、もう体験する必要がないなら、選ばなければいい。

だから「すべてを100%肯定的な方に信頼する」ことを選ぶ。シンプルに。

大切な人が苦しんでいるときに、できること

2012年08月16日 21:36 | コメント(0) | トラックバック(0)
図書館で借りた本「バシャール2」を読んで響いたところをメモ。

大切な人が苦しんでいるときに、相手のために一所懸命祈ることの他にできることがあるか?

というの質問に対して:

P.79 より引用
すこし提案できることはあります。

まず最初に、その相手を弱い存在と見ないでください。

慈悲をかけると、その人自身のいまの状態をより強調することになります。

そして二番目に、すべての個人は自分の現実を選択している、ということを理解してください。

その人たちに、なにかを提案することはできます。それによって、その相手が変わることができるかもしれません。

しかし、変化をその相手に押しつけることはできません。

きょう話したような新しい考え方をその人達に話すこともできます。でも相手の観念は、それを受け入れないかもしれません。

一番最初に理解してほしいのは、あなたが他の人の人生の責任をとることはできない、ということです。

一番簡単にできるのは、その人達のために「自分の」責任をとることです。

それは次のようにやります。

まず最初に、相手が罠にはまったというような見方はせずに、その人個人が自分自身でそれらを抜けていく力を持っているのだ、と完全に信頼してあげることです。そしてその人達がいまやっていることを、自分の中で再定義づけしてください。

相手はいま非常に苦しんでいるかもしれません。痛みを感じているかもしれません。でもその痛みを通り過ぎて、自分でなにかをやる強さがあるのは明らかです。そういった大きな制限をわざわざ自分に課している。その強さをまず見てあげてください。

そしてその人達がなりたい本来の姿に、あなた自身がモデルとなってあげて、その人のまわりで輝いてあげてください。

その人と気持ちを分かちあうことは、本来、その人の気持ちを持ち上げることなのですが、上から慈悲をかけられると、非常に落ち込みます。相手が絶望的な状態にいるとき、あなたがまわりで「あなたは本当に大変ね。もうあなたは絶望的ね」と言っていたら、どうでしょう?

地球上のことわざにあるのですが「絶望的な人は絶望的な人を呼ぶ」で、二人して絶望するだけです。

ときによっては、誰かが絶望的になっているときに、あなたが幸せそうにハッピーにしていたら、なんて冷たい人だと思われることもあります。

でもそれを怖れないでください。

相手に話してあげてください。私はあなたのことがとっても好きだと。

あまりにその人のことが好きなので、愛しているので、そんな絶望的なことをいちいちあなたに見せていられない、と。

環境を変えたり、いろいろなものに立ち向かう姿勢を、ほんのすこし変えることを教えてあげてください。なにかにワクワクしたり、新しい方向にあるワクワクすることを教えてあげてください。

でも、相手があなたの提案を受け取らなくても、それは彼らの選択です。

あなたがいま、絶望の方を選んでいても構わない。でも私はずっとそばにいて、あなたがいつでもその新しいやり方をやりたくなったら、振り向いてください、と。

自分自身を変えることが一番早い、ということを見せてあげてください。

あなた自身が輝いて、光となってあげることによって、彼らもそれを感じざるをえないようにしてあげてください。自分が、その光の鏡となってあげてください。

それぞれのプロセスを信頼する。

相手も、過去の自分も、現在の自分も。

光の鏡になる。

それを見た人は、抵抗感が浮き出てくることもあるでしょう。

それも含めてプロセスを信頼する。

抵抗感は変化の前触れだから。素晴らしいサイン。

あとはそれぞれの選択。

第3回 お気に入りメッセージの会 in 神楽坂

2012年08月06日 21:02 | コメント(0) | トラックバック(0)
1206100543_65.jpg8月12日(日) 神楽坂でイベントします。

お気に入りのメッセージを1つか2つ持ち寄って、お茶しながら、おしゃべりするゆるい企画です。

前回はバシャールかエックハルト・トールのメッセージとしてましたが、今回は何でもOKです。有名人のメッセージでも、親戚のおっちゃんのメッセージでも。最近響いた軽いものでも、人生の転機に響いた深いものでも、そのメッセージがあなたにとってどう響いたかをちらっと共有してください。

前回は話すことで、そのときの感動を再体験したり、それが他の人にも伝わったりして、ジーンとする場面もありました。ちょっとした癒しになるみたいです。

参加条件:バシャールのメッセージがひとつでも響く方

日時:2012年8月12日(日) 19:00〜21:00
会場:東京都新宿区箪笥町25-6 PLS神楽坂ビル 1F (地図
定員:7名
会費:1500円(ワンドリンク付き)
※ドリンクはオーガニック喫茶 Earth Jamin Art提供です。
※追加注文はキャッシュオン形式でお願いします。

お茶出し:かよったー
言い出しっぺ:上野


参加ご希望の方はfaceboookイベントmixiイベントのいずれかで参加表明、もしくはプライベートメッセージでもいいのでご連絡ください。

メールでのご連絡はこちらへ info@redhands.jp

ご参加お待ちしております。
タグ:バシャール | カテゴリ:お知らせ

自分の中のギラギラ眩しい光

2012年08月02日 17:22 | コメント(0) | トラックバック(0)
統合.jpgここ数日、睡眠時間が長くなって、食べる量が減って、新しいバランスへ変化の時を過ごしていました。似たようなことは過去何度も経験してるので、その期間はちょっとシンドイけど、何か素晴らしいことが起きることを確信していました。

2週間以上前からその傾向が始まったんですが、ここ数日が山場で、やっとさっき落ち着いてきました。

今朝は目が覚めてからも、ずっと瞑想状態で、リラックスチェアに座ったり、横になったりしながら、いつもながらヒントの整理をしていました。とは言っても思考はほぼ止まっていたので、抽象的な感覚の中で、今体験してることはなんだろうとぼんやり観察していました。

ところどころ夢の中へ行ったり来たり。夢の中でも整理が続いているみたいです。

さて、今日になって注目したのが、自分のなかにあるギラギラ眩しい光です。
これにフォーカスすると、背中、肩、頭が暑くなり、何か落ち着かない感じになります。

そういえば、最近パソコン作業など、ちょっと集中して活動するときにこの光を感じてたなあと、思い出しました。

ここ最近「リラックス」というテーマが一番にありましたが、リラックスしているとき、自分の中に感じる光は霧状の白くやさしい光で、胸のあたりに感じます。この光にフォーカスすると、穏やかな気持ちになり、とても心地いいです。

それに対して今回のギラギラ眩しい光は、黄色っぽい色で、頭を中心に上半身に強く感じ、パワーはあるけど、心地いいとは言えず、何か怒りでも含んでいるのかと観察するものの、悪いものではないと感じ、どう捉えていいのか分からないまま数時間を過ごしていました。

ところがある瞬間この2つの光が同時に出てきて、入り混じり初めました。でも融け合うことはなく、2色の糸が絡みあうというか、黄色い白熱灯と、白い蛍光灯がまだらに並んでるというか。渦巻き状に感じたり、規則性がないように感じたり。

まあ、それを観察している中で、ふと閃いたんです。

これは僕の中の「男性エネルギーと女性エネルギーだ!」って。

それに気づいたら、スッと楽になったんです。

その後も、ギラギラ眩しい光だけにフォーカスするとやっぱり落ち着かない。

両方の光を同時に見て、それを身体に広げると、バランスが取れる感じがする。

これが新しいバランスなんでしょう。

そして、身体が活動的になってきたので、久しぶりにパスタを作って食べた。

そう言えば、「男性エネルギーと女性エネルギーの統合が始まった」てなことを、ちょうど8ヶ月前のブログ記事で書いた。

今日はその流れに大きな区切りがついたのかもしれない。

なんだか感謝の気持ちでいっぱいになった。
タグ:リラックス 統合 | カテゴリ:ヒーリング遊び